やる気スイッチ
静かな朝だった。
夏の朝が来た。
久しぶりに乾燥機のない洗濯機で洗濯して外に干す。
それだけのことが楽しい。
遅くまで寝られず、地震の夢も見た。
なのに、清々しいのが不思議だった。
自分自身を知らなかった。
ここがやる気スイッチだったのかとか
これが必要なのかとか。
罪悪感の中でやっていることが、必要不可欠であり
やり方はへたくそだけど、どうしようもないことがわかった。
わけもわからず、やむにやまれず行動してしまっていた時は
ほんとにしんどかった。
でも今は、「こういう自分がいる」と思うだけだし、あまりにも不器用な自分を上から見てあきれている感覚もある。
人を振りまわす天才だな、わたし(笑)
今まではそういう私だからダメだと思っていて、
そういう私だからこそ、「人に合わせる努力」をしてきた。
そうじゃない!そうじゃないんだ!
人を振り回さなきゃだめなんだ。
私の気まぐれが平気な人でないと。
それが私。ありのままのわたしがここにいるということ。
自分を大事にしてしまったら、去っていく人がいるんじゃないかと思ってた。
っていうか、去っていいんだってわかった。
私に合わない人は、私から遠ざかってくれていい。むしろそのほうがいい。
「愛されない女はレベルが低い」と言わんばかりの風潮があるために
「どんな人にでも愛されなければ」という強迫観念を持ってる人がたくさんいる。
私もその一人だった。
愛されてる自慢より、自分中心で楽しく生きてる人のほうが私は好きなのに。
夫に愛されなければ、子どもに愛されなければと必死になって生きるより
そもそも自分は家族とどうなりたいんだっけ?と問い直したほうがいい。
パワハラ親父のお気に入りになって出世することが幸せなのかどうかとか。
誰かの愛で自分を測るのかい?
愛される引き換えに失うものがあるぐらいなら、と私は思う。
私がこの人生で学んできたのは、そのことだった。
「選ぶ側」である私たちなのに、選ばれることを望む。
若いふりをしたり、媚びを売ったりして。
そんなものはいらない。
わたしはとにかくしゃべっていたいのだった。
一方的なラジオやテレビじゃなく、コミュニケーションがあればやる気スイッチが入る。一人が好きなくせにね(笑)
今日も読んでくれてありがとう。