風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

自分を満たすこと

今日も暑いし身体は動かないし

ドラマも飽きた。

掃除しなきゃと思いつつパソコンの前にいます。

 

思い返せば、離婚前の自分の行動は笑えるもので

表面的に仲良くしたら元に戻るかなという実験だった。

けれど、魂は嘘がつけない。

どんなに一緒に時間を過ごしたとしても、

戻らないものは戻らないのだ。

私はその時に、「戻らない関係性」について学んだ。

 

心が伴わなくていい、というあっさりした家族が好みなら

それでも良かったのだろう。

そういう夫婦は掃いて捨てるほどいる。

 

「努力」というものは、自分のためにするものだ。

自分さえ満足すればそれでいい。

だから、あの時「夫と過ごす時間が最高」と自分が思えたら良かったんだけど

私はすでに満足できていなかった。

 

心が完全に離れていた。

 

最近、そのことをふと思い出す。

 

離婚してから親しくなった男友達はたくさんいるのだけど

元夫のような人はひとりもいない。

何かしらの親しみでつながっている。

 

仕事でのお客さんとのつながりも同じで

単なる「人」という記号ではなく

私の中に、彼らの素敵な部分が取り入れられる。

 

そうでなければ、私は人と付き合えないのだ。

 

「好き」という気持ちは一方通行だ。いつも。

子どもに対してもそうだと思う。

だからこそ、ふと「あちらも私のことを気にしてくれている」瞬間を感じた時の幸福感は半端ない。

 

「私が好きなら相手も好きだ」と思い込めるような強さは私にはないし

好きになってもらうために偽ることも良しとしない。

 

アラフォー以上になってまで、「家族との関係に満足できない、外で気持ちを満たしたい」などと言うのは、まさに、「相手も自分を好きになって欲しい」というエゴの現れでしかなくて、本当に満たすべきは自分の内側である。

 

家族と冷たい関係になったのは、お互いの日々の生活の積み重ねでしかないし

それを放置しておいて、外に満足が見つかるわけがない。

 

最近のわたしは、まるで存在しないBARのママのようだ。

一度去ったお客さんが戻ってくる。

「また来てもいい?」とたまにやってくる。

べったり居ついたりはしない。

お茶とおしゃべりをして帰っていく。

そして私は、そういう立ち位置が嫌いではない。

 

ずっと昔からそういう人になりたかったんだろう。

 

自分を整えてさえいればよい。

誰が来て誰が去ろうが、常に受け入れられる自分でいれば。

 

懐かしい感じで、「養育費もらわなかったけど」自慢や「離婚した元夫とも今はいい関係で」自慢を聞いた。

どうでもいいと思って聞いてる自分がいて驚いた。

マジでどうでもいいのだった。

そんなくだらないことでマウンティングできると思ってるんだ!と驚いた。

「あなたもそうなりたくない?」と暗に言ってきたので、

「いやいらんけど」と答えたら、困った様子だった。

もうそれは卒業したのだよ。私の人生はその先を見つめているんだよ。

 

絵に描いた餅のような人生を望んでいたあの日々が懐かしい。

 

外側の幸せで自分を測る時代は終わった。