人生は後半からが面白い
こんにちは。
現実逃避にブログを書きますwww
息子を元夫のところへ追いやったのに
ちっとも掃除が始まらな~い。
めちゃくちゃ息がしやすいんです、我が家
嬉しくて掃除どころではない(言い訳)
永い間、自分らしさを探したり、運命を呪ったりしてた私ですが
つまるところ、「相性の合わない人と一緒に生活しちゃだめだよ」ということに落ち着きました。
ってか、それしかなくない?
離婚してから多くに人に無理やり会いました。
私って何だろうということを紐解くために。
2,3年続けてみてわかったんです。
夫と結婚したのは勢いでしかなかったと。
もし、それまでにもっと多くの男性と知り合っていて
自分を客観的に見ることができていたなら
「結婚したくて私に寄ってきてるのか、そうでないのか」が見極められたはず。
それでも、頑張って家庭を築こうとした努力はお互いにやったし
それに対しては後悔はありません。
だけどね、それでも、一緒に暮らせる人だったかっていうと・・・離婚したからね。
今も思うのです。
私だけが浮いてるって。
どうあがいても、彼らのことはわからない。
他人のことは理解できるのに。
自分をずっと責めてきたのは、「わからない家族を抱えて途方に暮れてる自分」でした。私から見て、「家族と一緒にいて苦痛じゃない人」が信じられなかったし、いいなあと思ってたし、それは自分が未熟だからじゃないのかとも思ってました。
でも、そうじゃないんですよね。
理解できない者同士でどんなに頑張っても、頑張るだけお互いがしんどくなるだけで、離れたほうがいいこともあるってこと。
適切な距離を取れさえすれば解決するのに、どうして同じ屋根の下にいなきゃいけないのかということ。
自分を変えなきゃと思えば思うほど、相手が憎くなるし(だって、相手はカウンセリングを受けないし、変わろうともしない)ね。
だったら、現実的に「自分が楽に息ができる環境に移る」のが先です。
自分を振り返るのはそれからでも間に合うと思いますよ。
日本人って「自分が楽になっちゃいけない」と思ってるんじゃないでしょうか~。
自分だけ楽になって申し訳ないとか。
苦労しなきゃ認めてくれないとか。
それを占いに持ち込んで、クライアントに苦労を勧める占い師とか多いですけどね。
嫌いな自分をもっと嫌いになるように仕向けられるシステムが出来上がってる気がします。
もっと楽になればいいし、楽になるためのシステムを作ればいいし
求めていいし、声を上げていいし。
我慢する自分をかっこいいと思う人は別にいいけどさ、それは他人に強制しちゃダメです。
やりたいことをやろうって言うけど
自分が自分でいられなくなるような場所にいたら
できないし、そこに思考も精神力も余らない。
自分で自分の好きなことを見つけられるような余裕がないから
誰かの夢をなぞろうとしたり、誰かの夢中になってるものを真似ようとするんだと思います。
もっと虚しいよ。
大人って、誰と一緒に生きるかを選べることだと思うから
たまたま子どもとして生まれてきたからって
ずっと一緒にいる必要はないと思う。
一緒にいて楽しい性格同士なら全然いいけど、それは全人類に共通ではないんだよ。
自分らしいということは、誰から見ても羨ましくなるものではなくて
部屋が汚れていようが、何を食べていようが
「ああ、いいなあ、幸せだなあ」と自分自身に寛いでいること。
どんなに美しい服を着て、美しい部屋に住んでても
退屈で何かに追われてたら、自分らしくないってことじゃないのかな。
今年は素敵な人とたくさん巡り合えました。
来年は、自分の好きをもっと追求していこうと思っております。
明日も書くよ~~~!
このカップ好き。