理想が高すぎると言われた女の子の話
来週お休み二日もある~~!!!
ちょっと頑張れそうな週末です。
さて。
日々ADHD味を出して生きているわけですが
今日はなんと!電車の中にスーツの上着を忘れました(爆
電車の次に乗ったバスの中で気付いた時は_| ̄|○←心の中
お客さんのところに行く途中だったので引き返せず
ジャケットなしで堂々と対応し
帰りに駅でゲットしました。
届けてくれた人、ありがとう。
まあ、PiTaPaも二度失くしてますし。
なんとかなりますって(#^^#)
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「理想が高すぎると言われた女の子」の話。
どうしても自分に対するダメ出しが止められなかったり
いつまでも自信が持てない人に対して
「自分への理想が高すぎですよ、たいしたことのない自分を認めましょう」とよく
言われますよね。
いやいや、そんなこと、できるならとっくにやってますって。
と、その女の子は思うのです。
ちょうどいま、YouTubeで羽生結弦選手の演技を見ているのですが
例えば、ピアノでもスケートでもいいけれど、練習してうまくなりたいと思いますよね。
目標は高く持ちませんか?
「わたしなんてこれくらいだから、これでいい」と思ったら
練習するモチベ、下がりませんか?
その女の子は、いつも目標を高く掲げることで、自分を保ってきました。
それがなければ、生きていけないぐらいに。
なぜなら、周りが女の子にそれを求めてきたからです。
もしかしたら、親も先生もそんなこと求めてなかったというかもしれませんね。
それはそうです。
大人とは、無意識に「いい子」「自分にとって都合のいい子」を求めていて
感受性の鋭い子どもはそれを感じ取ってしまうのです。
どれだけ身の程にあっていなくても、「大人が喜ぶならがんばろう」と思うものです。
たとえば、「弟や妹に優しくしてね」だとか「クラスの障害を持ってる○○さんをサポートしてね」という言葉かもしれません。
親や周りの大人から見て「サポートできる子どもに見えるから頼んだ」という理屈があるのでしょう。けれど、子どもが子どもの世話をできるでしょうか?
できなくても「できない」とは言えない子どもになるのは明白です。
fって、他の誰にも頼まず、「このわたし」に親や教師が頼んできたのだから。
必死になるしかありませんよね。
本当の理由がなんであれ、そう思ってやるしかないのが、子どもというものです。
女の子はだから、「がんばってる」とすら思いませんでした。
サポートできるような自分にならなければ、という気持ちは、いつしか自分を縛る鎖になっていきましたが、それすら気づけませんでした。
プライドも理想の高さも、本来の女の子のものではありませんでした。
種がまかれて育っただけでした。
けれど、大人になって、そのプライドや理想の高さが邪魔になってきた時
それがまるで、女の子特有の性格であるかのように責められることになっていきます。
たくさんのことを我慢して「頑張ってきたコト」のすべてを否定される気持ちになった女の子は、とても傷つきました。
子どもの頃に我慢したことよりも、大人になってから「できなくてもいいのに」「あなたはそんなにいい子じゃないのに」と言われたことに傷つきました。
だったらなぜ、自分だけが他人の世話をさせられたのか?
どうしてその役割の辛さをわかちあってくれなかったのか?
今頃になって「できなくていい」とは何だ?
じゃあ、何のために生きてきたのだ?
女の子はどんどん辛くなり、生きているのもしんどくなりました。
さて。
女の子はどうやって立ち直ったのでしょうか。
それは次回。
自分自身を「もっとできるはずだ」と責める人に対して
「できなくても生きていけるよ」なんて言うのは逆効果でしかないです。
その点をうまく伝えられるといいけど。