風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

人生はひとつじゃない

朝、とってもいいお天気だと思っていたら

あっという間に薄暗くなってしまった日曜日。

こういう日はリンゴを煮るに限ります(笑)

 

安野光雅さんがお亡くなりになったということで

Twitterでは安野さんの絵本を紹介する画像がたくさん流れていて

懐かしく、嬉しい気持ちになりました。

 

私が一番好きなのは

 

このシリーズです。

細かいんですけど、知ってる人は知ってる「ゆうめいなおはなし」があちこちに隠れていて、遊び心いっぱい、絵も美しい、二度も三度もおいしい絵本。

学校図書館で捨てられそうになった時に「これはいい絵本ですよ」と止めたこともありました。

 

 

絵本というのは、本来このような美しさと楽しさを兼ね備えたものだと

私は思っています。美術館に行かなくても、字が読めなくても、美しい絵に触れることができる。そして、何度も繰り返し見て、大きくなったら読むこともできる。

その時々でその絵本への見方が変わっていくのも面白いです。

 

だから、自己啓発的な絵本を絵本とは言いたくないし、勧めたくないというのが

私のスタンスです。それは違うだろうと。本が読めない大人が喜んでその単純化を買っていくという意味でもね。

 

で。

 

朝から、鬱の漫画がバズってて

ちょっとこれはと思ったので書いておきます。

 

アドラー心理学に向いている人、向いてない人とは? ―アドラー心理学の危険性 - decinormal

 

↑この記事が流れてきて読んでみたら

私の言いたいことが書かれていて、さらに詳しく私が引っかかっていたところまで

解説していて、みんなこれ読んで!ってなりました(#^^#)

 

「宗教」「哲学」と「心理学」をごっちゃにしている勢が勘違いしている中での混乱。

 

そして簡単な鬱の解説本が出るたびに、素人や、鬱になったこともない人たちが

「鬱はこうなんだって」と親切に教えてくれるという地獄が続いてますよね。

重篤な鬱を患った身としては、「口を縫ってやろうか~」としか思わないんですけど

それを「自然派の身体に詳しいと勘違いしている人たち」や「成功哲学で幸せになった人たち」が上から目線でやってくるわけで、弱ってる鬱の人には言い返す力すらなく、そしてまた、鬱の時は判断力まで低下するので、そこを狙ってマウンティングする人たちが絶えないというのが、私の見立てです。

 

精神科医やカウンセラーに絶望して、素人の言葉に騙されることはありうると思っていて、確かに、医者や病院にいるカウンセラーにも困った人はいるのもわかります。

けれど、それでもやっぱりお医者さんと素人じゃ、そもそもの知識が違うんです。

スピ系やロハス系で「治った」人がいたとしても、そこに通うのは限られた人たちであるし、自分が選んだ人だけを「みて」、「治った人の例しか取り上げないで」いることもあると思うのですよ。

 

ちょっと話はずれるのですが

私の父は、私が高校生の時に胃がんになりました。

転移することもなかったようで、無事に過ごしていましたが

胃がんじゃないもので、命を落としました。

 

本人が「悩んでいると思っていた部分」は「胃に問題がある自分」で

だけど、本当はそこじゃなかったという話。

 

その本質的な部分に気がつく人であれば「本当に力のある人」だと思いますけど、

巷に溢れてるのは、

父のことを「胃に問題を抱えた人」と見立てる人ばかりです。

 

何が言いたいかというと、お門違いなアドバイス(こっちの悩みに引きずられたあげく)、「あなたの○○は何が問題で、どうたらこうたら」と言うのが「正しい」と思ってる素人相談員が増加してるってこと。

こんなことを言っても、やってる人たちには通じないのはわかっているのですが

「人生はもっと多様である」ということを

誰もが知っていてほしいなと思います。

 

「この知識があれば誰かの役に立てる」「助けてあげられる」と安易に思った瞬間に間違えます。

人間はそんなに簡単じゃない。

 

鬱が寛解するストーリーは無限にあるし

一度良くなったと思ってもぶり返すことだってある。

「今悩んでいること」が人生における決定的な悩みじゃないことなんて山ほどある。

そのたびに、女性性に問題がある人だとか、成育歴で愛が足りなかった人だとか

そうやって決めつけて相談に乗ることで、その人を「そこ」に押しとどめている可能性だってある。

 

「問題を見つけること」が癖になったらもう大変で

「だからあの人は不幸なのよ」の押し売りになります。

 

そう言っちゃう人は、たとえ本人が「学校の先生に傷つけられた」と訴えても

「先生は悪くない」とか言い出して二次被害を与えてしまったりして。

 

なんてこともあちこちで起きていると思ってきた20年間、全然解決されないところを見ると、人間てマジ変わんねえ、ですね。

 

成功も失敗も、豊かさも貧しさも、人生が終わるその日まで

何ひとつ決まってないですよ。

 

それがわかるまで人は経験をし続けるのかもね。

 

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 お正月に撮った大阪駅。 

大人が甘える意味が分からない(笑)

朝起きたらうっすらと雪が積もっていました。

仕事が休みで良かった!

 

生きづらさの理由を知りたくて、成育歴を探る人生を過ごしてきましたが

やっと自分の人生が戻ってきた今になって思い出したことがいくつもありました。

人は、安全な場所でしか思い出せない、それぐらい意識に上らない傷があると知りました。

 

わたしのそれは、おそらく小学校2年生から5年生までのことで

完璧主義だったり、人に異様に頼られる元となった出来事がありました。

 

その頃のことを思うと、自分のキャパの大きさに驚くとともに

よく壊れなかったなと。

動けなくなった30代後半から、他人からぼろくそ言われることが増えて

それでも私はしぶとく生き抜いてきたことも考え合わせても

自分というもののエネルギーの大きさに圧倒されます。

 

当時、一番下の妹が生まれ

さらに、3人兄弟のいとこ達が、私の生活に入ってきました。

本来であれば、私の親や親せきで、そのいとこたちの面倒を見るべきところ

たまたま、私の素行が良くて(笑)←大人に刃向かわない、従順な子であっただけですよ

というのもあったでしょうし

農村特有の「子どもたちはほっといて育つもの」というのもあったんでしょうが

休日になれば、うちら4人(妹は赤ん坊だから留守番てたかも)といとこ3人で遊ぶことが必須でした。

今思うと、おばさんの離婚の件で、大人たちが協議していた時期だったんじゃないかな。

 

とにかく、特に親しくもない6~7人で「仲良く遊んでて」と言われてもね。

 

しかも、いとこ側は訳ありなので、私はそれなりに気を遣うわけです。

 

その頃は、ピアノも習ってたし、土曜日は合唱団行って、日曜日は祖母の書道教室。

よく「子ども時代を思い出してやりたいことをやればいい」ってのがありますが

子ども時代にやりたいことする時間なんてなかったよね。

せいぜいマンガ読んだりするぐらいで。

 

だから、やりたいことって言われてもなあ、ずっと母親の手伝いか、人間関係の複雑さにアップアップして、自分が発言することを極端に恐れてたことしか思い出せない。

みたいな?

 

叩かれたとか否定されたとか、大人が明らかに自分に対して危害を加えたわけじゃなく

過剰に荷物を背負わせた挙句に何一つ愚痴を許さず、不満も不平も聞いてくれず

いとこに暴言吐いただろと怒られ(テレビのギャグを一言言っただけですよ)

妹弟からは、親に向かう反抗を私に向けられ

そういう精神的しんどさを、私は抱え込み、テストで点を取ること(ゲーム感覚で)だけが生きがいみたいな状態でした。

 

だからさ、頭がいいことをからかわれるとほんとに頭に来るんですよ。

誰の面倒を見ることもなく、勉強に逃げ込まなきゃやってられないような精神状態に追い込まれることもなかった人が、勉強ができるからって偉そうに、って言うんだから。

 

本来は、親が背負べきことだったよ、色々と。

でも、母親はいわゆる母娘カプセル状態で生きてる人で

自分の母親(私から見て祖母)の顔色ばかり窺ってた。

私がいい子でいなきゃ、母が祖母から嫌われて、母が傷つくって

私はどこかでわかってたみたいで、その分余計に頑張りました。

 

そういうストレスや傷は、目に見えず、虐待と認められることもありません。

 

おかげで今でも、大人が甘えてくるのが苦手だし

期待されたり、発言をチェックされるのもとても嫌です。

 

ほっといてくれ!って叫びたくなるのは、小さい頃の私が泣いてるからで

当時、ちゃんと労わってもらいたかったし

頑張ってることを認めてもらいたかったんだなあ。

 

子どもの私にだって背負えたものを

どうして大人が放棄して

「わたしだって弱いだもん」とか言うんだよ?という怒りは常にあるけど

最近は、「私が特別広くて大きくて強すぎたのかもしれない」と思い直してるところ。

 

でも、やっぱり大人は踏ん張って欲しいですよ。

子どもに丸投げせずに。

子どもに子どもの面倒を見させずに。

そして、たとえそうしなければならない事情があったとしても

面倒を見ている子どもをねぎらって褒めてやらなきゃね。

 

「子どもの発言素晴らしい」じゃないんですよ。

自分がそう思って、そう発言しなきゃ。

傍観者になろうとする大人を認める気はさらさらないです。

 

自分の欲望は自分で始末する。不平不満も相手にきちんと表明する。

で、潔く嫌われる。関係を終わらせる。

それが自己責任というものであって

貧乏が自己責任とかじゃないです。

因果応報でもないです。

 

大人がきちんと大人になれば、子どもの傷が少しでも減ると思う。

大人ができないことを子どもにやらせてるんじゃないよ、まったく。

 

と、私の中の子どもが言っております故。

今日は吐き出させていただきました。

 

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わたしの大好物。京阪枚方市駅駅ナカスーパーで見つけました。

地元では売ってないのよね。

 

やっと正月が!

黒豆だけは茹で黒豆を使って作った正月。

その後、明けてから、とてもお安くなっていたかまぼこを買って食べ

今日はくわいを見つけたので炊いている。

 

日曜日も朝から仕事があったけど

その後天気が良かったので思い切って初詣に出かけた。

 

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おみくじは大吉で

この年齢になると、大吉だから用心して過ごそうと思う。

嬉しいけど浮かれ過ぎない。

 

ついでに十日戎にも行ってきた。

私がよくわからないのは、このご時世に小さい子どもを連れてくる若い夫婦が多いことだ。

 

人がたくさん集まっているに決まってる場所に

わざわざ連れてくるんだなあ。

 

私はこの神社を通るたびに、恵比寿さんにご挨拶する。

無職の時も「精いっぱい働きますのでお願いします」とお願いしていた。

だから、今忙しくても平気だし、願いを聞き届けていただけだのだと思っている。

 

年末は体力的に限界で、このままどうなるかと思っていたけれど

正社員になったほうが精神的に楽になって

少しずつ余裕が出てきた。

 

だから料理も復活。

 

お菓子も作れるようになるといいな。

 

わたしは、人が不機嫌になったり、私に対していらだたれるのを見るのが辛くて

人と一緒にいるのが苦手です。

責められてる感じがしてしまうんですよね。

だけど、今の仕事は人間相手だから、相手を不機嫌にさせることがあっても

「気にしないで次行こう」みたいな空気があって、まるで私のためのリハビリ施設のよう。

 

そうか、それでいいのか、私ばっかり反省しなくていいのか、と目から鱗が落ちまくりです。

私が人生に対してやってきたみたいに

トライ&エラーの精神で初めての人に会いに行くだけだし、失敗してもそれはもう終わったことで、次に生かせる人が営業成績がいいんだと思う。

 

そういう意味での自己責任だから、みんな同僚にはすごく優しい。

キツイ世界だからこそ、労わりあって仕事してる。

 

お給料もらいながら、自分のリハビリできてるんだよね。

お給料もらいながら資格も取れてるし。

お金は払わされるわ、効果ないわ、のセミナー系とは質が違う。

 

ありがたいことです。

 

そう思うと、母が、自分自身のために生きることをやめて、引きこもって主婦やってれば自分が脅かされずに済むと思ったのかなとふと。

弱い人だったんだよね。

 

私も弱い人間のまま、誰かに守ってもらうことを願ったけど無理だったということで!

今年は心のリハビリしながら働こうと思います。

タフになれそうやな(希望)。

 

くわい、おいしくできました。

 

 

 

 

しょうがないんだよ批判なんて意味ない

何カ月ぶりか、ショウガとニンニクとカレー粉を炒めるところから

カレーを作りました。

料理ができるようになっていたおかげで、

メンタルが落ちている(寒いせいだと思う~)日も

なんとか持ち直せます。

 

自分好みの味、ほっとします。

 

料理ができるくらうに元気と余裕が戻ってきたのが嬉しいですね。

 

さてさて~~~

 

メンタルといえば

弱者がカウンセリングに通わされるアレですけど

たくさんの人が薬を飲んだり、精神科に通ったり

スピに答えを求めに行ったりしてますけど

 

個人の問題じゃないと私は思っています。

個人が生きてるんだから個人の問題とも言えるけど

でもさ、ちょっと考えればわかることです。

 

どうしてそこを避けるかな?頭がいい人も悪い人も。

 

ここんとこ、男性の不倫と同じぐらいに

女性の不倫も堂々とされるようになりました。

SNSを探せば山ほどその事例は出てきます。

 

どれもこれも「夫がしてくれないから」という寂しさだと書いてあります。

 

男性が永らく「妻が応じてくれないから仕方なく」不倫していたのと同じ理由です。

 

悩んでいる風に見えますよね。

そうです。

本気で物事を変えるのを避けて、悩んでいる風に見せかけてる。

「私が何とか自分の問題を自分で解決すれば”家庭は安泰”」ってやつです。

 

パートナーと向き合わず、自分の問題だとすり替えて

こんな家庭でいいのかどうかを問う体力がないもんだから

性的欲求をどこかで発散すればよいと。

その相手も人間なんですけどね。(それで彼に会えない、彼が好きになっちゃったと悩んでるってもう・・・その前に片づけることがあるだろうが)➡そして、夫にも彼にも好かれてる私を演出しているマウンティングも見受けられます。

 

不倫をする夫と別れない。妻とセックスをしない夫とも別れない。

そして外で(お互いに)性生活を満たせればいい。

家庭を保つためなら、他の人は傷つけても利用してもかまわないというのは

不倫する男もレスに我慢する男も同じことです。

 

子どもの不登校の時にも感じました。

 

「学校という制度を保つためなら、いじめられている子どもを何とかすればいいんだし、いじめっ子は必要悪だ」と思っている人が多いってこと。

学校という制度になじめないあんたが悪い、という論理。

 

日本では、制度が神様なんですね。

だから、制度を保つためには何でもありなんです。

 

不倫を叩く意味が分からない(笑)

 

服が人に合わなくなったら新しい服を作るのに

制度が人に合わなくなったら、合わない人が悪いと言いたがる。

 

親の離婚のせいで不幸になったから俺は離婚しないと不倫してる男もいます。

おかしくね?

 

けどもう、そういう世界をみんなで作ってる。

制度を何としてでも保ちたいんだ。

それが「気持ちに正直に生きる」ことだと日本人は言うわけです。

 

一緒に暮らせないわ、という気持ちに素直になるより

「家族大切にしたい」という気持ちに素直になることを推奨している。

 

そういう人がいう「自由」や「素直な気持ち」が嘘っぱちじゃんって私だけが思ってるみたいですけど、どうなんでしょうねえ。

 

自分が生きていく環境を変える努力はしたくない。

それよりも簡単に手軽に、誰かを利用して、自分の気持ちさえ収まればいい。

それで家庭がうまくいくなら。学校で上手に生きられるなら。

それが虐めの原因であり、虐待を正当化するものだと思うんですけどね。

 

学校が嫌で家庭にいることはダメ出しされるのに

家庭で嫌なことがあったからと学校に来て暴れるのは許される。

 

夫と話し合って離婚するより、不倫して結婚を続けるほうが美しいとされてる。

 

どこに理想があるんだろう。

 

どこに美しさがあるんだろう。

 

もう誰も、誰かを批判できないし、意味ないよ。

 

そして、神様を扱ってる人たちが、そういう世界を具現化してる。

 

誰かを非難する前に、制度を見直せば多くの人の気持ちと行動が一致するはずなのにな。どうして、気持ちが荒れるような制度を野放しにしたいんだろ。

そこで「うまくやってる自分」がそんなに好きなのか。

 

っていうことをここんとこ考えてます。

 

人と人を争わせたり傷つけたりする「目に見えないモノ」があるのに

それを見ないで、誰かを非難し批判して、序列をつけて、神様に好かれてる自分と思いながら生きてるって、な。

 

グロテスクすぎるこの世界、さあどうやって生きていきましょうか。

私にできるアドバイスなどないんだな。

だって、「制度を神様と崇めている人たち」につける薬などないもの。

 

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お休みが終わってしまう

おはようございます。

 

去年の総括をしていなかった気が(笑)

一番はYOASOBIを知って「夜を駆ける」を歌えるようになったことです。

たくさんの人がカバーしているのは

それだけ歌いがいのある楽曲であるということ。

覚えて歌えた時の「やった!」感がこんなにある曲はないかも。

 

それから、全く新しい仕事に飛び込んだこと。

その結果、自分の世界が変わってきたこと。

 

過去の自分との統合が始まったこと。

 

私にとって何がそれほど過酷だったのかが認識できたことで

自分を許し、自分が広がる感覚を得ました。

 

過去の自分をどんなに振り返ったところで

家にじっとしていたり、誰かの教えを聴くだけでは

何も変わらないし、気づけないし。

 

勇気を出して、経験したことのない世界に踏み出すことで見えることのほうがずっと多い気がします。

 

自分を悪者にしていた時(昨年まで)は

まさか、従姉と一緒にいたあの時期が苦しかったなんて

気付きもしなかったのでした。

 

彼女を傷つけないよう、子どもの小さな頭脳で必死に考えて

それでも相手を怒らせたり傷つけた気がして悩んだ日々。

それは自分のことを置き去りにした日々の始まりでもありました。

 

もし、従姉が近くにやって来なければもっと素直に拗れていた(笑)はずで

親や社会が責任を持たず、「子ども同士で何とかしてくれる」と期待した結果

私個人が「怒りがたまりまくり」「生きづらさ満載で」「自分の子育てにも影響してしまう」ことになったということ。

 

だからこそ、子ども同士でやらせる学校や、子ども同士のことには介入しない大人に対しては、今も「それ違うで」と言いたくなるんですよね。

 

大人が責任を放棄する瞬間が嫌いです。

 

この年齢になって思うのは

大人といっても年齢を重ねただけの人があまりにも多いということです。

知性も頭脳も精神性も成長させず

子どものまま大人になってるから

「子どもにやらせちゃえ」「子どもってすごい」ってなる。

 

派遣のリーダーみたいに、他人をコントロールすることだけを覚え

指導することの意味もわからず

やみくもに支配して、現場を回すことしかできない人になってく人も

ここ10年で増えました。

 

そんな人たちが子育てしたらどうなるよ?

 

ってか教師もそんな風になってない?

(学生時代のアルバイトのせい?)

 

そしてまた、「お金は楽して手に入れられる」ということを実行している若者も増えてきて、日常何してるかしらんけど、どうやって自分を成長させてるのか謎ですよね。

技術力も磨かないで、遊んで暮らしている人が増えたら

この国のあらゆるモノ作りは後退するし、サービス自身も育たない。

 

詐欺の手口や、言葉巧みに人を操る心理学ばかりが育ってる気がしますけど

昔から、「現状を心配する年配者」はどこにでもいて

私もそうなってきたのかなと思わなくもありません(笑)

 

明日からまた、仕事を着実にこなしていく日々です。

たくさんの人と出会う毎日ですので

自分の言葉が、営業トーク以外の部分で何かが届きますようにと

祈って過ごしていきたいと思います。

 

誰かの心に灯りを灯すことができれば、私の魂は輝きます。

 

手段はなんでもいいんです。

 

不登校児が営業やっても、その営業で出会う人を勇気づけられることに出会うかもしれない。カウンセリングの勉強をして、カウンセラーにならなくたって

人を癒すことはどこででもできるんですよ。

 

これはいつも思っていることですが

普通の仕事をしてください。

 

自分自身が何者であるかを示すために

ブロガーやユーチューバーになって示さなくいてもいんです。

仕事があってのブロガーとして存在したほうがずっと良くないですか?

 

どんな仕事をしていても誰かを励ましたり勇気づけたりすることはできます。

特別な仕事でなければできないのであれば

自分自身の問題でしょう。

 

自分が今いる場所で輝くことで、次の世界が開いていきます。

 

わたしはカフェによく行くのですが、アルバイトであろうそこの店員さんの笑顔に励まされる瞬間が何度もありました。

尊い仕事だと思いましたし、人に与えたその笑顔は、その人の人生にとって素晴らしい贈り物となって還ってくると思いました。

 

だって、わたしは無意識にその人への感謝の気持ちを送っているから。

知らない人からの感謝をたくさんもらったら、人生良くなると私は思いますがどうですか?

 

安い仕事を笑顔でやればいいってことじゃなくて。

自分の今いる場所でまず、「なりたい自分」でいてみようということです。

セミナー受けなくたって「なりたい自分」をイメージして一日中過ごして居たら

そこに近づくと思うから。

 

次に向かう場所もわかるから。

わたしもそうやって今につながってきたから。

 

誰かにやってもらう人生は卒業しましょう。

 

では。

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制度がアップデートされないわけ

今日もいい朝です。

 

仕事始まると朝が早いので辛いです。

低血圧のせいなのかな。

10時始まりにしてほしいわ~~~。

 

さて。

わたしは恋愛は結婚と関係ないところにあると思ってる人間なんですが

だからこそ、結婚制度は見直したほうがいいんじゃないの?という意見を持っています。

 

けれど、世間ってやつはそうじゃなくて

「不倫してでも家族制度を保つ」方向ですよね。

 

不倫や浮気を叩くわりに、制度に甘い(笑)

 

結局、家族制度の上に乗っかって、甘えてる人ほど

不倫をする上に、不倫を叩く。

不思議な人たちだなと思います。

 

家族にも不倫相手にも好かれたくて

ばれたとしても「俺が、私が被害者」という顔をする。

不倫や浮気をしたところで、家族に許される人は結局反省もしないし

「必要悪」だと思ってる。

そして、世間に訴えかけて、不倫相手のほうを追い出して悪者にして自分を保つわけですね。

 

制度がそれを許すからだよね。

 

既婚で浮気や不倫をする人は

家族に甘えず、そういう人と結婚していたいか、そういう人の子どもでいたいかを

きちんと家族が選べるようにしておくのが筋だと思うの。

 

自分の自由だけを旗印のように掲げてもちっとも美しくないでしょ。

 

経済力で支配して自分の自由を認めさせるのか

離婚した人と言われたくないために、相手の自由を我慢して、涙を流すのか

ってか、なんで不倫や浮気より離婚のほうが下に見られてるんだろうね~。

 

それも「結婚制度」を特権だと思ってる人たちがいるからで。

 

私は、不登校問題に関わった時から、同じことを考えているのですが

学校はいじめの加害者を学校に置いて

虐めの被害者を転校させることがままあります。

 

そして、被害者だけにカウンセリングを受けさせ

加害者は何食わぬ顔をして日常を送る。

 

それも学校制度を存続させるためです。

 

いじめをなくす学校にしようと思えば、根本から変えなきゃいけないし

いじめの加害者に責任を負わせるとなると、教師もすべて加害者としての

自覚を促されるわけで、それは学校という制度にとって不都合でしかない。

 

だから、被害者のほうに変化を促し、転校させたり、被害者への人格改造を押し付けたりするんじゃないですか?

 

不倫や浮気も同じことなんだと思いますよ。

 

既婚で浮気や不倫した人をすべて離婚させればいいだけの話なのに

絶対にそうしない。

だって、家族制度を保ちたい人たちはほぼ、浮気してるでしょ。偉い人とか(笑)

それに目を瞑ることが、この日本を保つことだ!ぐらいの勢いですよ。

 

その人の家族が泣こうが、不倫相手にされた人が傷つこうが知ったこっちゃない。

(不倫を許して一緒に暮らしていく家族にも問題ありますよねえ)

 

加害者を許す制度のままゆるゆると傷ついた人だけが「変わらなきゃ」と思わされて進んでいく日本。

その制度に守られている自分を疑問に思わない限り、泣く人はなくなりません。

 

どんなに「サレ夫」「サレ妻」という名前を付けて被害者ぶったって

結局「パートナーも不倫相手も傷つけるような人と結婚していたい私が一番正しい」と思ってる時点で、なんだか違うよなと。

 

不倫するパートナーと意地でも別れない、離婚しない、わたしはかわいそうなんだから!ってやってるうちは、被害者じゃない。結婚してる自分が一番偉くて守られるべきだってやってるうちは。

 

それは「誰かを虐めてでも、学校に通いたいんだおれは!」を許容する学校と同じです。

学校に行かないことを選ぶ子どもは学校の敵ですけど

誰かをいじめてでも学校に通う子供は学校が守ってくれるんです。

だから、いじめられてでも学校に居続ける子どもを望むし、そういうこどもをヒーロー扱いする。

 

「いじめられても不登校にならなかった」と

「不倫されても離婚しなかった」は

まったく同じなので。

どちらも制度を肯定する「善人」として称賛されるけど

それは加害者を放置して温存することと同じなんじゃないのかな。違うのかな。

 

だから、「今の制度に不服はございません」「どんな理不尽があっても、この制度の中でがんばります」と、制度が変わるのを妨げることにしかなっていない。

 

日本は我慢を美徳とするから、結局加害者を許していくし、表面上で浮気や不倫を叩いても、既婚している側が強くて、遊び相手に選ばれた人をみんなで痛めつけて溜飲を下げているだけの話でしかありません。

 

そういうの、嫌い。

 

心関係を取り扱ってる人たちだって

「被害者の被害者意識」はものすごく上から目線で説教する癖に

「加害者の被害者意識」は放置したまんま。

どっちが問題なんだか。

 

自己責任という言葉も、加害者には適用されてないものね。

 

貧しいのは自己責任と言われるけど、豊かな人が誰かに酷いことをしても自己責任で貧しくなることがないのよね。

 

本来は、弱者を生み出してしまう制度そのものを疑って少しずつアップデートしていくのが人間の知恵だと思うんだけど

弱者を生み出してでも、この制度で自分が得する人間が制度を維持してる限り

アップデートされる気配がない。

 

不倫をする夫だけじゃなくて、不倫する夫を「変えてみせる」と意気込む妻も制度を維持する役割を担ってる。不倫を肯定してる。そういうことに自覚のある人が少なすぎる。

 

と、わたしは思うのですが。

 

新しい時代だとか、好きなことをして生きようとか、口先だけは勢いあるけど

結局既存の制度の上で楽しくやりたいだけなんじゃないかなって気がします。

制度の上にあぐらをかいて生きてる人が、弱者に説教してんじゃないよと思うのは私がブラックだからかな~。

 

休みも明日で終わり。

早く仕事に慣れて、休みを休みとして楽しめますように。

幸せになる日

ひとつ年齢を重ねました。

 

今日も穏やかなお正月です。

 

昨日、ある人の文章を読んだことで

一気に自分自身への理解が深まり

肩の荷が降りました。

 

ずっと恋愛のことをあれこれ書いてきましたが

離婚して数年、いくつかの恋愛や男性の友達ができたことで

私自身を癒してきたこともわかりました。

小中学生の頃に、男の子と遊べなかったうっぷんを一気に晴らしていたみたいです。

本当は男子に混じっていたかったんだよね。

 

私が、スピ界隈というアダルトチルドレンや元被虐待児のところに突っ込んでいっては自爆してきた意味もわかりました。攻撃されることが自分の使命だと思ってたんだからしょうがないよね~(爆。

 

無邪気でいられなかった、大人になることを強いられてきた日々。

私の発言が誰かを傷つけてしまうかもしれないと恐れてきたことや

空気を読めない母親が、私の立場など考えず、娘自慢を始めてしまい

常に「生きててごめんなさい」状態であり

誰かに傷つけられることで自分を納得させようとしてたことも。

 

そういうすべてを見通した上で

私はもう、言葉を恐れないし、口に出すことを恐れないし

傷つけることを恐れないし、傷つくことも恐れない。

 

もっともっとドヤ顔で(笑)生きていきますよ。

 

わたしおめでとう。

 

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