風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

ありの~ままで~♪は、もう古いのか

窓辺にアイビーを飾った。

ご飯を食べている時も、仕事やスマホをしている時も

目にはいる景色がとても良くなった。

自分が望んでいた風景を自分で作れることが喜びである。

 

わたしは、環境を変えることが好きだ。

望まない場所にいると感じたら

そこに留まることや、その環境の中で自分を変えることを良しとしない。

「こんなところにいるわたしではない」というのが

いつものモチベーションである。

 

潜在意識や何かをやってる人が使っている手法に

「自分を疑う」とか「ゴールを定める」というのがある。

私のやってることは、ほぼそれに近いのであろう。

奇跡は起きないが(笑)

たとえば、離婚しようと決意するちょっと前には、いつも「私のいるべき場所はここではないし、結婚している自分が信じられない」という気持ちになっていたし

「子どもと一緒に住んでいるのは落ち着かない」というのも常にあった。

だから、どんなに苦労をしてでも、それは達成することが必須であった。

そうなると、「離婚したいんだけどできない」などということは言ってられない。

いつも「どうすれば離婚できるか」を考えるようになるし、実行するための行動を起こすようになるし、情報にもアクセスしていく。

叶わない理由がなくなるのである。

 

「夢を叶える」とはそういうことだと私は思う。

自分がどうありたいかがわかれば、今いる場所に対する違和感を持つであろうし

そうなれば、どうしたって行動を起こすことになる。

 

しかし、そこに「今いるところで満足しなさい」という人がいる。

そういうアドバイスを受けるたびに、何言ってるんだと思ったし

理解されないことにがっかりして落ち込んだりした。

 

今思うと、それは単にその「今いる場所で満足する」という意味を取り違えていただけだということがわかる。

 

要するに「今いる場所でできることがある」ということであって、決して「その場所でずっと頑張りなさい」ということではないのだ。

「今ある武器で、未来の自分に対してできることは全部やる」・・・これが正解。

 

これまでの私は、天災や子供の事情により、勝手に環境から変化を求められることが多く、(例えば、病気になって考え方が変わった人がいるように)

何かに流されるようにここまできた。

大学を卒業した頃に描いていた未来や、こうすればこうなるだろうという予測がことごとく外れたことで、「私が何かを考えてやることは、無駄なことだ」という強烈な意識が生まれてしまった。

 

それでも、自分の中にある「わたしはこれじゃない感」に突き動かされてきたことはたしかである。

 

「ありのまま」と言う言葉はとても曖昧だ。

他人にそれを使う時には注意が必要だ。

そして、自分に対しても。

 

ここ最近の地震や水害やコロナによって、人生が変えられてしまった人は多いと思う。それを「ありのままに」受け止めることは難しいだろう。

突発的なことによって人生が変えられる経験をすると、神様のような存在を信じないわけにはいかないなあと思うこともあるだろうし、自分の力の虚しさを感じたりすることもあるだろう。

どちらもある。

 

それでも、そこから立ち上がるために、「ありのまま」から始めなければならない。その上で「ありのまま以上」を心に抱いて、理想を描くことができれば、苦労も耐えられるのであるし、苦労を苦労と思わずに乗り越えられるかもしれない。

 

テレビでも書籍でも、ノウハウ本や「すっきりはっきり」が好まれているけれど

人生はすっきりしないものである。

SNSで、まるで絵に描いたような、小説のようなわかりやすい人生を送っているかのように、他人に「見せている」人が多く出現してしまって、混乱している人も多いだろうし、真似しようとしてしんどくなってる人もいるだろう。

 

もっと迷って悩んでいいのではないか。

 

占いでも何でもアドバイスしようとする人は「正しい答え」を出そうとしてしまう。

「ありのまま」とはどういうことかに思いを巡らせないまま、その言葉だけを使えば、相手が納得してくれると思っている。

 

どんなに「すっきり」を求められている「気になった」としても

その人が求めているのは、「すっきりするまで聞いてほしい」のであろうと

私は思う。

 

それはともかく。

 

何かを叶えたければ、それが当たり前と思うまで「叶った状態」を妄想すること。

そして、現実が「何かおかしい」「合わない」と思うことを手始めとして行動していくこと。

それが自分を未来に連れて行く。

これまでの人生を振り返って気づいたことである。

それが正しいかどうかは関係ない。

 

そして、私は今も行動し続けている。

 

この生き方を伝えるためでもあるし、多くの人が「すっきりした回答」から脱して、迷い悩むことを否定しないでくれるといいなあと思いながら。

 

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それにしても、日々ADHD的な自分を認めざるを得なくなってきている。

同調圧力に従う」人たちと一緒にいることがしんどいのであるが

抗うことなく、風のようにかわしながら、ふらふらとしていようと思う。

 

何かを信じ切った人たちの目は、迷いがなさ過ぎて怖い。

迷ったり揺れたりしながら、最善を尽くしたい。

 

コロナできな臭さが増してきた国だけど

私は国外に出る未来は、今のところ想像できないし

常に人と会い続けながら「できること」を淡々とやっていくだけである。

 

生きよう。