透明な悲しみ
どういう具合かわからないですが
たまに一日中起きれないことがあります。
昨日もそういう一日で
焦燥感があったので
こういうものを完成させました。
何も気にせず、ひたすら作業に没頭できるのは一人暮らしの特権ですね。
もしかして、ご飯も寝る時間も気にせずに、寝たい時は寝て、作業したい時はする、ということをずっとやってみたかったのかもしれません。
自分一人で盛り上がったいた恋を終わらせました。
それでもなかなか納得できなくて
カウンセラー代わりにしている占い師に話を聞いてもらったりしました。
私に何が起きたのだろうかと、すぐにそういうことを探すのが私の癖なのですが
今のところ「また、護られちゃったよ」というのが
本当のところだと思いました。
あるトラブルがあってこじれてしまったのですが
そのトラブルに対して、私は自分を責めていました。
あれさえなければと。
けれど、よく考えてみたんです。
よくある話で「恋人と別れたい」「結婚したら違う人みたいになった」
それって、付き合う前にトラブルを起こさないよう、嫌われないよう、うまくいくように頑張りすぎたんじゃないかって。
良くも悪くも、私は、お付き合いになる前には自分を演出しすぎたりしません。
無理することもあるけど、センサーが反応して「これは嬉しくない」と思うことがあれば嬉しくないと言ってしまいます。
「だからうまくいかないんだよ」と言われてしまいます。
でもそれが、「わたし」なのだから、それをやっておかないとまた、どうせ同じことが起きる。
一生仮面を被ってその人の前で生きているわけにはいかないです。
自分を出して関係性が崩れるのなら、それはもう、違うということ。
付き合ってから「え、どうしよう」とならずに済むのは
私があらかじめ「これは譲れませんけど」をちゃんと出すからです。
私は普通にモテるし、好かれるし、黙ってれば恋人もできるでしょうが
この性格は万人受けしないことも自分でわかっています。
なので、相手を選ぶ時も変わった人を選びがちだしw
(自分がこんなんだから、相手もへんこな人が好きなんです)
誰もが受け付けないような人を攻略したくなるところもあって
普通のいい人、とは恋に落ちない上に簡単にカップルにはならない。
昔は何とか「普通の恋がしたい」というか
自分がわかっていなかったので
付き合ったはいいけど別れたくなる普通の恋人というものを
やってみたいと心底願ったものでした。
だけど。わたしはわたしでしかなくて。
自分の中で、それを落とし込むのにとても時間がかかりました。
結婚してしまえば、相手に不満があろうがなんとでもなるし
夫婦の関係性を築き上げようとする努力になってしまうので
結婚さえできるところまで持っていけば楽だろうと経験からも思います。
(って、私は、その”結婚したんだから”が嫌で離婚したんですがw)
世の中の夫婦は、よっぽど問題が起きない限り、自分自身と向き合う前に結婚しているし、探さなくていいし、つまり、他の異性の本質にも目を向けなくていい。自分がまさか、他の異性と相性がいいかもしれないとか考えなくていい。
虚しさを抱えようが、一生安泰でいられるし。
人は、不安定な状況に耐えられないのは
コロナでもよくわかったことと思います。
学校がない、会社がどうなるかわからないという中で
「わたしには学校が合わないみたい」と言い出した子どももいるし
会社に出勤したくないという本音に気づいてしまったサラリーマンもいるようですが
こういう事態に陥らないと、人って本音がわからないもんです。
流されて「わたしはこれでいいんだ」と思ってしまう。
結婚も同じ。離婚したとたんに「わたしってどういう人だっけ」になりますよ。ほんとに。
そして、そのような変化を経て「わたしは大多数でいられない」と知ってしまった時の悲しみ。
どんなにポジティブになろうとしても
襲ってくるマジョリティでいられない悲しみ。
その透明な悲しみがうっすらと私を覆います。
だけど、それがあることで、私は、私の感性を守れるのだとも思っています。
Twitterで発信したんだけど「実家ガチャ」「配偶者ガチャ」「会社ガチャ」「子どもガチャ」というものをみな、自分の実力だと勘違いしていたり
そのガチャの商品を自慢することで、自分を良く見せたりしているなあと
わたしは感じています(自分のお宝見せれば自分が凄い人であるかのように思われる・・・なんとか鑑定団に出てくるご老人見たらわかりません?w)。
自分に付随するものや人を、まるで自分であるかのように
表現してしまうマジョリティな感覚は私にはまったくないのです。
できれば、学歴も全部隠したいよ、わたしは。
みんなが、自分の魂だけが見えて、自分の魂だけで生きている世界があったら
どんなにいいだろうと思います。
表面全部取っ払って生きていこうぜって。
自由に魂が飛び交って、夫婦だからとか、家族だからとか、親子だからとか
そういうのもやめて、世界で自分が本当に好きなものを見つけて飛んで行って
それと共にいられたらいいよね。
夫婦じゃなくても寄り添える魂があって、その人支え合えたら最高。
魂にとっては、透明な悲しみは、私の魅力の一部として輝く。
今日も楽しい一日になりますように。