風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

物語のように生きる

ブログを続けること。私の大切な仕事。

 

 

今朝、少し疲れていて、一度起きたけどまたベッドに戻りました。

スマホを眺めながらぼーっとしてから

ベッドルームから出てみると

レースのカーテンが揺れて、陽の光がうちの中の白い壁と床を照らしていました。

なんて美しいところに住んでいるのだろう。

どんなに感情が揺れたとしても

この環境を自分に与えたのは過去の自分。

なんて美しい気持ちでこれを用意してきたのかと

目の前にある奇跡を見つめました。

 

私が小説を書く代わりにブログを書いているのは

自分自身が主人公だと思っているからで

架空の人物を創ることより、自分の人生を物語のように

書いて、自分で読むことが望みだったから。

 

さっき、「妻を変えようとせず、自分も変わらないことを信条とした夫婦」のnoteを読みました。

私も、そういう人生を描いてきたし、やろうとしてきました。

夫を変えることなく、子どもを変えることなく、そのままでいいと全肯定して生きてきました。

だけど、周りは私にダメ出しをしているような気がして、その声に自分が耐えられなくなった。それが違いだなと思って読みました。

 

そしてまた、この夫は、動けない女性を側に置くことで、自分の生き方を肯定するようにしたんだろうと、年齢を経た私は思いました。

素直じゃない読み方かもしれないけど。

 

そして、わたしは、この「夫がそのままの自分を肯定してくれたから元気になれた」という物語を採用することなく、自分がその夫となって、自分を肯定し、自分を元気にするシナリオを生きていくのだなと気づきました。

男に依存して幸せになるという物語はもうたくさんだ。

 

私が、自分のために用意したこの家と、これから整っていく心が、私の行く先を照らしていく。

 

男に依存した女性が幸せになるのではない

男と女が同じ地平線で暮らし、助け合いながら生きていく幸せを

私は描いていくのです。

 

エイブラハムは言います。

コントラストが願望を生む」と。

自分にとって不都合な現実や、違うと思う出来事を見るたびに

自分の本当の願いや望みに気が付く。

だから、否定や批判がいけないという話を私は採用していなくて

批判したくなる物事を見ることで、自分の本質を探し出せる自分であることに重点を置きます。

 

ちょっとした違和感、ちょっとした差異に気づくことが

自分自身とつながることになります。

その違和感を見過ごして、違和感を受け入れる自分を善だと思い始めたらヤバいです。

 

みんな違うから、生まれたんだし

みんな違うから、生きているだけでいい。

違いを味わうために私たちはここにいる。

 

鳥の声と、たまに車を出す音しか聞こえない山の上に住んでいる上に

テレビを観なくなって、アーティスティックな日々になりました。

 

ここから、何が生まれるだろうか。

 

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