風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

自己肯定感の呪い

どもです。

 

久々に風邪?ですたぶん。

眠いわ眠いわ眠いわ!

 

そして寝てます。

 

ちょっとある場所で久々の話を聞いてきたんだけど

親ってまだ(というかずっとというか)「うちの子の自己肯定感低くて」と悩んでいるのだなあ。

 

体調イマイチで頭がまわらなかったので、その場ではきちんと言えなかったんだけど。

 

そもそも「あなたたちに自己肯定感あります?」って話なんですよね。

 

「わたしは学校に行ってたので」って

自分の子どもが不登校になった途端、学校行ってた自分アピール。

いや、わかるよ。

「だから不登校のッ子どもの気持ちがわからない」と続くのだから。

 

けどね。

 

学校に行ってた自分が「自己肯定感」になるのだとしたら

「ちょっと待って」

 

その自己肯定感、すぐに潰れますから。

 

子ども達が自分をけなしたり、「どうせ」と言ったりするのを否定する前に

「親に自己肯定感が育っているかどうか」を自分で振り返らないとまずいんじゃないかなあと思うんです。

本当に自己肯定感、あなたに育ってる?

 

「ほめたら自己肯定感育つと思って」って

 

子どもが不登校になったぐらいで、ぐらついているあなたのその「自己肯定感」とはなんぞや?なんですよ。

 

自分を肯定していたら、子どもの不登校ぐらいで悩まないでしょ。

 

「どうしたら親としての自分を肯定できるのか」を考えたほうがいいですよ。

 

「自信を持つ」なんて、環境で変わります。

世間のレールに乗っていれば、自己肯定感が育っているような「気が」します。

それだけのものです。

 

事故で体が不自由になる、配偶者が突然いなくなる、子どもが言うこと聞かなくなる・・・その時に「ああ、わたしはわたしでよかった」と思えますか?

 

日本の女性はただでさえ、自己否定で生きてるってのに

子どもに自己肯定感を持たせるなんて、幻を探すようなもの。

 

口先だけの褒め言葉も、「自信を持ってほしい」の望みも

子どもには直観的に見破られていると思われ。

 

もし、母親たちに自己肯定感が育っていたら

「せっかく先生が迎えに来てくれたのに、どうして動けないの」などと子どもに言わない。自分を低く見積もっているから、迎えに来てくれた人に媚びを売らなきゃならない。

「ごめんなさいね、今、私たちはそれどころではないんです。ありがたいのですが、お断りしてもいいかしら?」と言えると思うんですよ。

 

自分より先生が偉い、迎えに来てくれる同級生のほうが、学校に行けないわが子より偉い、と思っているの、丸わかりでしょ。自己肯定感、持たせてないでしょ。

 

「言葉への理想」が高すぎる。

言葉を実感としてではなくて、妄想してる。

「自己肯定感」という言葉を、魔法だと思ってる。

 

自己肯定感を認めていない学校が、それを言うんだからおかしいよね。

 

いい加減、気づこう。

 

夫がいなくても子どもがいなくても、わたしはわたしで生きていける、と言える女性はどれだけいますか?

誰かを蹴落とすことなく、自分でいられる人は、どれだけいますか?

 

自己肯定感を問題にするのは、それからだ。

 

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どんなに有名な人だって、死ぬまで満足しないもんだと思う。

自己肯定することは、死ぬまでの課題にするぐらいでちょうどいいんじゃないのかな。

 

できなくったって生きていける。

死にたいと思いながら生き続けることができる。

その命を信じられるかどうかだと思う。