風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

不登校増えてるの、仕方ないと思う理由

若い人が、ピアノを楽しそうに弾く動画

見ていて飽きませんね。

「楽しい」だけが伝わってくるの。

 

さてさて。

 

遠い昔の、息子たちの不登校時代を思い出しました。

あの頃は言えなかったことです。

 

不登校の親の会に行くと、現役の教師がいらっしゃるんです。

不登校の子供のことを考えてくださってるとは思うんですけど。

なんとなく、なんとなくですよ。

自分の研究のために来てるって感じがしてました。

 

もし、本気で不登校問題に取り組もうと思ったら

自分の学校の管理職に直訴するとか

教育委員会と話し合うとか

そういうことがもっとも効果的なはずなんです。

不登校の親子の話を聞いてる場合じゃない。

 

不登校の親子の悩みを聞くのはカウンセリングであって

教師の仕事ではない(言い切るのは抵抗があるけれど、敢えて)はずです。

子どもを守るために、現場の教師としてできることは

現場を見直していくことでしょう?違います?

その学校全体に、いじめがないか、教師が子どもを追い詰めているクラスはないか。

その調査をして変えていくことができるのは

現場の先生にしかできないはず。

 

なのに、不登校の親子の話を聞く、という

いかにも「研究対象としての不登校」への態度をあからさまにされることで

わたしは、教師にさらに不信感を持ちました。

 

結局、自分たちが不満に思ってることを

不登校の親子に被せて、うっぷん晴らしてるだけじゃんって。

学校の愚痴言ったり、校長や教頭への文句言ったりね。

そういうの、学校でしなさいよって。

 

不登校児を抱えている親が、どうして教師のカウンセリングまでやらなきゃなんないのかなあって思ってました。

 

これでは変わらないよ、と思いました。

 

教育制度を変える運動をするつもりもない。

ただ、吠えてるだけ。

寄り添っていい先生になってるだけ。

 

今はどうなってるんだろうなあ。

 

私の子ども達は救われないんだなと、親の会で絶望したあの日。

 

「子どもの手柄は私たちのモノ」だから。

うちの母親もそうだったけど。

私にいいことが起きた時は全部、母親の手柄。

不登校の子どもたちが学校に行けたら、先生の手柄。

 

大人が子どもを道具扱いするのをやめるのが先だと思う。

 

子どもに、他人に、自分の力を証明させるんじゃなくて。

「楽しい」姿を見せていきたいよね。

 

生きづらいのは社会制度の問題が半分あるので

あなたの主張の正しさを証明するために生きづらい人がいるわけじゃない。

 

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食欲のない時に食べる。ミルクレープです。