風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

権力というもの

チョコパンを食べたらパジャマにチョコが付いた。

シュールな朝です。

 

ここんとこ、私が関心を持っていた「べてるの家」「東京シューレ」に問題発生で

改めて権力の怖さについて考えてみました。

 

東京シューレ」については、さほど不思議ではありませんでした。

息子たちが不登校になった時、こちらの団体の資料を取り寄せて検討したことが

何度もあります。

評判はいいし、言ってることは真っ当でした。

だけど、私の中の人(直観)はどうしても関わらせてくれませんでした。

 

その理由の一つは、代表が元小学校教師であったことです。

これは私だけの思い込みと言われても仕方がないのですが

権力を持った女性教師の暴力性に対して、私はとても敏感なのです。

学校というところは男社会です。間違いなく。

校長と教頭は男のほうが多い上に、男仕草をする女性しか管理職になっていないところがほとんどです。

学校、特に小学校は、担任制であり、他者の批判を受けにくいんですね。

本来であれば、内観していくことで教師としての資質を上げること、そういう姿勢で生きる人が、そのような働き方に向いていると思うのですが

とにかく、客観的に自分自身を見てくれる人と出会わないので、どこまでも自分本位になれるのです。

 

だから「クラスで不登校やいじめを出さない」(実際にあっても隠ぺいする)ことに必死になるわけです。そういう表面的なことでしか、自分を評価してもらえないということの裏返しだと思います。

 

そのような職業に就いていた人が、団体の長になるとどうなるか。

自ずとわかりそうなものですが、ワンマンになるのが目に見えているんですよね。

 

主義主張が世間的に正しいから受け入れられるけど

人間性と主義主張はリンクしないところもあります。

親が教師である家の子ども達の声を聴けばわかるかもしれません。

学校ではいい先生でも、家庭では・・・ということは良くある話。

校長にでもなった暁には、自分の学校を家庭の延長線上に置いてしまう。

 

パワハラセクハラも、自覚なしに行われるということです。

 

学校では許される(なぜ?)ことでも、一般企業で許されないコトってあるじゃないですか?その境界線がわからなくなるのが、元教師だったりするわけですね。

 

息子たちが一時期お世話になったフリースクールの発起人もそうでした。

「私の学校」を作りたいんだなあというのが一目瞭然で、誰かの意見など全く必要としていませんでした。いいも悪いも自分の気持ち次第。

それでも、不登校で悩んでいる親御さんには感謝されるだけ。

 

シュタイナーシューレのような確固とした思想などありませんから

「弱者を救う自分」に酔ってきたりして。福祉にしてもそうですけど

「救ってあげてる自分は間違っていない」に辿り着く傾向があるような気がするのです。

 

だから、東京シューレはどこか上から目線で、いつの間にか不登校界隈ではブランド的な扱いになっていて、家から出られない、経済的にもしんどい不登校家庭には寄り添っていない気がしたのです。

 

権力を持った女性の、パワハラをわたしは小学生の時に体感しています。

女性教師が毎日毎日体罰をするのを見てきました。

中学校でもありました。

男性の暴力教師は普通にいるけど、だからって女性までそれを真似しなくても、とは思いましたが、あの頃はそれが普通でした。

 

「力で子どもたちを制圧する」のが当たり前の学校で教師をしていた人が

パワハラやセクハラに鈍感なのは当然です。

 

権力を持つことの快感に慣れているのが先生という仕事。

そこに疑問を持った人は、教師を辞めていく。

でも、自分が立ち上げた場所でもまた、同じことをやってしまうのかもしれません。

 

よく「人に頼ることは大切だ」と言われますが

教師が教室で子どもに頼りすぎる現実は異常です。

お気に入りの子どもを使って雑用をさせる先生がほとんどです。

自分の感情のままに叱る。お気に入りを作る。えこひいきを日常化する。

 

団体の長の姿勢は、一番下まで届きます。

直接指導していなくても、空気が感染するようにそうなっていくのです。

 

福祉に関わっている人だから、不登校を助けてくれる人だから、と信用するのはちょっと待ってと。

その人が持っている常識は、パワハラセクハラを「受け流す」ことかもしれない。

それって社会的にやってることとはリンクしないんですよ。

 

教育への情熱とパワハラを併せ持ってる人は意外と多い。

そこは、「人として」の世界ですから。

 

宗教関係者のセクハラも当たり前に存在するのです。

 

だから「怪しい」と思った時点で逃げる。避ける。

「人を信用しない自分」を罰しないことです。

 

好き放題できる地位に就いた時、その人の「考え方」の奥にあるものが出てくるのかもしれません。それは家庭で「親」になるのも同じ。

子どもに対して絶対権力を手にした人がやってしまうことがあります。

どうしようもないことかもしれない。けど、やってしまった自分を他者が諫めてくれることや、その人の相談に乗ってくれる人がいれば暴走は防げるはずなのです。

 

昔は戸塚ヨットスクールの事件がありました。

学校に行けなくなった子どもたちが、そのような大人の餌食になるのを止めるのは難しいのでしょうか。

不登校界隈に湧いてくる「助けてあげたい欲」にかられた大人たち、その大人に群がってしまう母親たち。

 

連鎖が止まりますように。

 

f:id:pikake-jasumin:20200912203000j:plain