風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

完璧主義を作った周囲から脱出する困難

朝は風が涼しいうちです。

立秋過ぎたっけ?

 

まあ、人間てのは、他人を想像できないもので

「いつも褒められていいな」と思われていた私は

その理由がまったく理解できずにいました。

 

私には、褒められなくても「家にいられる」弟や妹が心底羨ましかった。

どうして、褒められるようなことをしないのに、堂々としてて許されてるんだろうって。私は、褒められ続けるようなことをしなければ、この家に置いてもらえない気さえしていたのに。

 

人を妬んでも羨んでも、意地悪しても、やんちゃして怒られても何をしても親から何のおとがめなしの弟や妹。

それに比べ、常にいい人であり続けなければがっかりされるわたし。

 

完璧主義になって当然の環境だったんだなあと思います。

 

でもさ、子どもにだってわかるんですよ。

大人がどっち向いて褒めているかなんて。

「クラスの士気を上げるために、私を誉めるということを利用している先生」とか

「弟妹を頑張らせるためにだけ、私を誉めてみせる親」とか

まったく私自身を「見ていない」ことぐらい、気づくわけです。

 

子どもを見ずに、褒めたりするもんだから

そりゃ、褒められていない子どもも「見てもらってない」と思うのは当然ですが。

子どものことなんて関係ない、教師や親である自分自身の自己肯定感の道具でしかないというのは、教師や親に気に入られている子どもがめちゃくちゃ感じることなんだけど。大多数の子ども達は、「えこひいきされてる誰か」のせいにして、親や教師の本質をまったく見ないまま大人になるのですよね。

 

だから、いつまでたっても、構造を理解しない。

あの時、誰もその大人の眼中に入っていなかったということを理解しない。

私の母親は、父と祖母以外の人間を「見ていなかった」けれど

弟や妹にしてみれば、私だけが「見られてる」と思っていたわけだし。

 

けど、結局のところ、「私は損ばかりしてきました」という人ほど

誰かの懐に入るのが得意だし、決して損しないような人生を歩んでいるのが面白いところで、

周囲から完ぺきを求められて育った人間は、案外不器用で、どこで見放されるかもわからない不安の中で生きてきたからか、人を信用するのが難しいということにもなります。

 

そこからの脱出の困難は、やったことがない人にしかわからないのは

「学校教育で損した損した」の大合唱にかき消されてしまっているからでもあり

これ以上責任背負えないってところまっで追い詰められないと立ち止まれないからでもあります。

 

人から依存されまくりの幼少期を送ってきた私には

人から依存されることなどそれほど重大ではないのですが

慣れてない人が大人になって「依存される」を経験した途端

「私に依存しないで!」と金切り声で叫んでいるのを見ると

いやそこまで叫ばんでも・・・と思うけど

その立場にならなきゃわからないことってたくさんあるのですよね。

 

私の場合は、とにかく自分を頼ってくる人たちから逃げるのが先決だと思い

やってみました。

環境を整えて一息ついて、やっと、自分の問題を考えられるようになりました。

 

周囲からの期待だけで生きていると

自分自身のことはめちゃくちゃおろそかになります。

やりたいことをやってるんだけど、ケアができなくなる。

しかも、倒れても「あの子は大丈夫だから、しっかりしてるから」とケアされないことがほとんど。人を頼るスキルを得るタイミングも失ってるw

ケアされることに対する恐怖もあるよね。

 

自分がケアする側だと余計に。

 

話は変わるけど、男が介護したら親を殺しちゃうの、あるじゃないですか。

ほんと怖いよね。ケアに慣れてない人がケアするのって。

そういう怖さがある。

 

自分の中では、人をケアする時は、精神的に整えてどうしてこうしてっていうマニュアルを作り上げてるけれど、他人はそこまでやってくれない。何されるかわかんない。

 

内面的にはそういう感覚かな。

 

なので、「誰にも必要とされない時間と空間」が必要です。

人は人を勝手に持ち上げたり落としたりする癖があるから

そこに「自己責任」を被せられたくないから。

 

評価からまったく遠く離れた場所にいる自分を認識すること。

そこが出発点!

 

人は、自分の脳の中でしか生きていないから

「私は幸せ、私と同じような生き方をしていない人は不幸」と思って生きてる人は

他人をそういう風にしか見れない。

みんな甘えればいいのに~愛されればいいのに~ってのは結局そういうことでしょう。

 

悟ればいいのに~引き寄せればいいのに~もそうだし。

 

私は、その人が笑って暮らせてたらいいなと思うし

そこに至るための情報が不足しているのなら、情報を伝えたいとは思うけど

「幸せにならなきゃ!」とはあんまり思わない。

それこそが、完ぺき主義を創り出す源だと思う。

 

今も、ひっそりと誰かに寄り添う、笑わせることをやってます。

生活や仕事とはまったく関係のないところで。

きっと無駄になってないと思うんだ。10分でも一時間でもほっとさせてあげられたら。

 

f:id:pikake-jasumin:20200716173002j:plain