身体が記憶するもの
私は何をするのも慣れるのも時間がかかるタイプ。
お休みするのにやっと慣れてきました。
本屋で「お、文庫になってる!」とこの本を買ってきました。
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内容について、一言一言を理解しているわけではなく
なんとなくの流し読みをするパターンではありますが
少し読んだだけで、面白い言葉に出会いました。
ともかく、ここで強調したいことは、様々な認知的タスクの遂行において、脳そのものが果たしている役割が、思いのほか限定的である可能性があるということである。脳が決定的に重要であることはもちろんだとしても、仕事の大部分を身体や環境が担っている場合も少なくないのだ。
(『数学する身体』(森田真生著 新潮文庫)40P)
私はここで、自分の回想に入った。
私が身体を大切なものとして意識し始めたきっかけを思い出した。
何度も書いている気がするがそれはアレクサンダーテクニークのレッスンに通い始めてからのことである。
鬱病をきっかけにして、私は身体が動かなくなっていった。
寝込む日も多く、これでは働けないしどうしたらいいだろうと悩んでいたある日
アレクサンダーテクニークの本をちらっとどこかで見たのだった。
そして、その日のうちに近所で教えてくれる人はいないかを検索し、先生に出会った。
気功をやっても何とか運動をやっても、わたしはいつも注意ばかりされて
うまくいかない。
先生のように動けないし、劣等感だけが上乗せされて全く効果が感じられなかった。
しかし、アレクサンダーテクニークは違った。
記憶があいまいなので先生から言われたセリフをありのままに書けないのだが
「ここは、こんな風に曲がりたがってますよね」「きっとそれでみかみさんを守ってきたんでしょうね」「でももう必要ないかな」
たぶん、そんな言葉だったと思う。
衝撃だった。
自分が欠点だとばかり思っていた身体が、そのせいで生活しにくかったとしても、ある瞬間から、私を守るために「そっち側に曲がろうとする性質」を会得したんだと。
そして、逆から言うと、トラウマは身体に残っているのだということが
はっきり自分の身体で認識できた瞬間でもあった。
会話で脳をあれこれいじくって、トラウマを解消するものだとばかり思っていた私は、目から鱗、何枚落ちたことだろう。
何年か通って「あとは痛みを感じた時でいいですよ」と言われて、毎月のレッスンは終わったのだが、あの日を境に、私は、「脳がすべてではない」というのが、身体感覚で理解できたような気がしている。
ヨガや気功体操が有効なのはおそらくそういうことだろうと思うが
もともと、自分の身体が思うように動かない私のようなタイプの人間は
「先生と同じようにできないコト」に絶望するのが先になってしまう。
アレクサンダーテクニークを学んだことで、「身体が記憶していること」に着目できたことは、私の大きな転換点になったと思う。
私の父親は、身体能力が優れており、会社で野球チームのピッチャーをやっていた。なのに、私は、父とキャッチボールをしてもうまくいかないし、教えてもらっても右と左が逆になってしまう不器用な子どもだったので、運動が嫌いになっていき、人前で身体を動かすことは恥のひとつになっていた。
今でこそ、発達障害の研究などで、脳からの伝達が身体にうまく届かないことがあるということが言われているが(感覚統合療法 - Wikipedia)、私は単なる「どんくさいやつ」というレッテルを貼られ、自分でもそう思い込んで生きてきた。
アレクサンダーテクニークの考え方に出会ってやっと
私は自分の身体と仲直りしたのだった。
長くなってしまったが、そういう経緯を経て、私は、脳と体について自分なりに考察してきたつもりである。
人は脳だけで考えているわけではないし、私自身というものは、環境から受ける刺激によっても容易に変化してしまうものだと思っている。
なので、脳がオーバーヒートして、考えるのを拒否している場合は
自分の身体に目を向けて、身体の喜ぶことを優先すると良いのではないかなと思う。
普通(普通ってなんだ?w)の人であれば、簡単にバランスが取れるのかもしれないが
私など、すぐに脳を目いっぱい働かせてしまう傾向にあるので、急に脳に拒否されて慌てることがある。
「身体、忘れてますよ~~」と身体からメッセージをもらってやっと気づく有様である。
占いにしろ、スピリチュアルにしろ、どれもこれも、脳だけで解決しようとする傾向が強い。もちろん、そこに瞑想やヨガなどの身体的アプローチもあるけれど、どうしても「脳で起きる変化」を期待しすぎな気もしている。
私が大切にしているのは、例えば「声」の波長だったり、相手と接している時の身体から発する「気」であったり、見た目の穏やかさであったりする。
そういうものをキャッチしていれば、自分が発するものにも気を付けることができる。
どんなに笑顔でも、言葉が素晴らしくても、声が尖っていて固い人は要注意だ、とか。
身体は色んなものを記憶している素晴らしい器だと思う。
人間が身体の細胞一つ一つに何かを蓄えつつ、放しつつ生きているからこそ
その人が「脳だけではない存在である」とわかるのではないだろうか。
相変わらず私の運動神経はポンコツで、昨年まで社交ダンスを習ってみたものの挫折!
脳内のリズム感覚はばっちりなのに、身体が言うことを聞いてくれない(笑)
けどまあ、ポンコツだったから疑問を持っていられたんだろうし
色んなメソッドに挑戦せずにはいられなかったのだろう。
うまくいかなかった私の身体の使い道が今やっとわかり始めたところである。
武器を手に入れた、というか武器に気づいたというか。
というわけで、人は、脳だけにあらず、なのです。
今日も暑さに注意してまいりましょう。