命に感動すること
おはようございます。
ホルモン剤を飲んだり終わったりしているので
身体が爆走している感覚があり、
あきらめてゆっくりしています。
今年は秋が長い。
紅葉がずっと綺麗で嬉しいです。
鬱になったり、子育てがすっとこどっこいだったり。
一筋縄でいかない日々を過ぎてみると
「成功とは何だろう」と思います。
うまくいった話より、大変なことが起きている、過去にすごいことがあった、という話を聞くほうが人間味をより感じて、私は感動を覚えます。
それは、「弱者が頑張ってる感動」ではなくて「よくぞここまで生き延びて」というものです。
誰かから誰かを奪ったり、誰かをモノ扱いするような苦労ではなくて
自分自身そのものへの痛みを乗り越えることって
並大抵じゃないからです。
子どもが自傷行為をしてて・・・という話を聞いても
自傷行為をどうするこうするに焦点はなく
それを見ている親御さんの痛みと、何とかしてあげたいという想いに
心を打たれます。
子どもをコントロールして、親を安心させることが
周りの役目ではない気がしていて
それよりも、その人自身が、子どもの人生にうまく向き合えるようにと。
親だって人生を今、生きているのだし
子どもを何とかするため(パートナーをなんとかするため)だけに生きているわけじゃない。そこ、間違っちゃいけないっていつも思います。
私が好きになる人、愛する人は、とても変わっていて
「幸せになれないよ」と思われる相手を選ぶことが多いのですが
今の私は、「だからなんだよ、これがわたしだよ」と言い切れます。
「幸せになれるための相手」「自分がパワーを感じられるための相手」よりも愛したい相手を愛したい。
この世の中、何が真っすぐで何が歪んでいるのかを
人間様が勝手に基準を決めてあーだこーだ言ってるけれども
わたしはわたしの真っすぐを愛していきたいし
苦労を光に換えていく言葉を発していきたいと思う。
メンヘラだの歪んでるだの拗らせだのっていうマイナスな言葉を
なんとか光に変えるよ。だって光だもん!それが命だもん!
大切な友達が一人、光に戻っていきました。
彼女は人に寄り添える人でした。
学生時代は、違う世界の人に思えてまぶしくてね。
でも、大人になってからいくつかの接点がありました。
それは複雑な人生だったり、不思議なご縁だったりしました。
最後に会った時は、アレクサンダーテクニークの話をしたよね。
人ひとりの人生の大きさと豊かさと重さと。
そして、これからの自分の人生と。
今ある命を輝かして生きていかなければと強く思います。
誰かの命を輝かせることもまた、大切なことです。
生きていること、存在してること。