過去の記憶が書き換わる
また母のことを思い出す時期が来たようです。
どっぷり共依存で育ってきたと思っていた私ですが
思い返すと、意外とそうでもなかったなあという感じ。
過去の書き換え進んだのかしら。
不登校カフェを止めた流れから、色々と思い出すことが増えました。
わたし、意外と、っていうか、まったく冷たいやつなんですよ。
知ってたよね(笑)
だから、共依存に陥れなくて苦しかったんじゃないかな。
今となればよくわかるんだけど、母は恋愛もせずに結婚して
母の溜まっていく澱のような気持ちを、私が吸い取るしかなかったのだろうと推測してる。
私は、常に家族を俯瞰して見ていて
母親の代わりに、どこが足りなくて、何をしたらいいのか、よく見ていた。
その部分だけ、母親は私を頼りにしてたと思う。
だけど、いつからか、あまりにも母親が私にマウントしようとするので、めんどくさくなってきた。妹との関係もキツくて、家にいない時間や友達としゃべる時間が一番だった。
何かにつけて、私と張り合ってくる母。
常に父親の意向を気にしているくせに、やたら父親に反発して喧嘩してるし
その時だけ、私に味方するように仕向けて、後で聞いたら「あの子はどうしょうもないね」って父に言うだけのチキンな喧嘩。犬も食わない夫婦げんかに巻き込む親ってどうよ。
私の友達にケチつけるのはいつものことで、わたしはどうしても母に友達を紹介しないもんだから拗ねちゃって。
妹は母のお気に入りになりたいからか、友達を母に会わせて仲良しごっこやってた。
私が元夫とデート始めた時も不機嫌になってしまい、なんて子どもなんだろうと思った。
わたしはそれぐらい母に冷たくした。母の介入とマウントが鬱陶しかった。
母が嫌いでしょうがなかった。嫌いなのに、箱入り娘で自立できなくて、自分の心が分裂し始めたのが、軽い摂食障害だったのかもしれない。
母と離れたい、けれど自立できてない。その葛藤がずっと続いた。
どうしたって親を頼らなければならない局面があるでしょ。出産とかも。
で、頼ってあげたほうがいいのかなとかね。←ほんとに自立してなかった私。
もし、本当の共依存だったら、結婚してただろうか。母のお気に入りと結婚しないとダメなムードはあったけど。
自分が意地悪くて、母にとって冷たい娘であることへの罪悪感があった。
それが、母と心理的に切れない理由だった。
だけど、あそこで私が許したら、これからの人生ずっと私をダシにして勝ち誇った顔をされるかと思うとね。生きてる心地がしなかった。
母は、私を弱い立場に置いておくことで、心の安定をはかったし
私もそれに習おうとした。いつしか「弱いふり」が「弱い私」になっていった。
長年のその癖が人生をややこしくしたよね。
「あなたは弱い人でしょ」と決めつける人がいっぱい現れた。母の代わりみたいに。
離婚していくつもの修羅場をくぐった私は
ようやく「弱い人」を演じるのをやめた。
・・・そもそもが強いからか、演じるの下手すぎで、護ってもらえねえ。
「守られたいなら言うこと聞きやがれ」って言うやつしか現れないしな。・・・
それでも「弱いわたし」をまず最初に出した。だけど、それやると自分が潰れることがわかった。マウントとられっぱなし。馬鹿にされっぱなし。
自尊心をとことん傷つけられた「弱い自分」を棄てられなかったあの頃。
「弱さの鎧」はなかなか魅力的で外れなかったけれど、ちょっとは脱げそうなのかも。
相変わらず、私のことを「弱くて、言うことを聞いてくれそう」と勘違いした挙句、どかんと怒りを落とされて傷ついた人は多々。申し訳ない。(とは思ってない。)
これからは、弱くも強くもなくて、そのまんまでいられたら幸せ。
この一年間、あちこちからやられっぱなしで、その理由を知りたくて相談したら「それは、日頃の行いが~という理由ではなく、あなたがそういうことを言われてしまう態度を取っているということですよ」ってずっと言われてた。
その意味がやっとここ最近、わかった(#^^#)
「ごめんなさい」という態度で生きてたら、相手も強気で来るんだよ。こいつには言えるって。
今の私は、愛想笑いをしなくなった。だけど、モテるようになった。「その怒るところがいい」とか言う人もいたな~。奇特な人だった(オイ。
これからもまだ、残ってる何かを昇華していくんだろう。
堂々と欲しいものを取りに行き、堂々と勝ちに行く。
それで嫌な目に遭うなら上等。最初からあきらめるよりずっとマシ。
って・・・まあ・・・その・・・あきらめたこと一度もないですけどね・・・(爆