成功よりも失敗大事
急にアクセス数が200とか、びっくりしますやんか。
ほんまやったら、嬉しいです(ちょっと疑ってるw)。
教育関係の場所に行くと
現実社会にそぐわないアドバイスがいっぱいあるんやなあと
思います。
だいたい、先生って「成功体験」が好き。
失敗経験がどれだけ豊かで素晴らしいか、わかってない。
自分が凹んだこと、ないんでしょうかね。
ないね。
時々行ってる学校でも
ニコニコ顔が仮面で、その顔のまんま、理不尽に子どもを急に怒鳴る先生とか
普通に見ますもん。
自分が何をやってるか全く自覚がない。子どもに何を言ってるかもわかってないんだと思う。視たくないのかもしれないし、自分を。
言葉に体温がなくて、白々しくて、機械に教えてもらってるみたい・・なのに気に入らないことがあると、感情的に怒られて、安全ではない・・・な感じだろうなあと思うんだけどね。小学校低学年で、大人をこういうものだと認識するってけっこうな衝撃体験だと思う。
不登校で悩む人の場に行くと
教師はどうしても「成功体験から学ばせようと」する。
100人いれば100通りって言ってるじゃん?
んで、その成功体験すら、一年後には怪しいものじゃん?
私は、久しぶりにそういう場に参加してみて
成功していない、今悩んでいる人たちの
豊かな言葉に圧倒された。
そして、親も子も懸命に毎日生きていらっしゃるなあということに感動すら覚えた。
(あ、感動させるために話した人は一人もいないし、帰ってきてからじわじわ感動したので、お間違えなく)
自傷行為も、引きこもりも、子供に薬を飲ませてしまった人も
宗教の場に救いを求めている人も、みんなみんな。
誰一人間違っていないし、毎日を懸命に生きているということがまっすぐに伝わってきた。
仕事で、表面上の「いいこと」ばかり言う上司とか、知ったかぶりの人にうんざりしている毎日だから、余計にそう思ったのかもしれないが。
数字を合わせる、いいように装う、できてる風に見せる・・・
学校現場ってそんな繰り返しなんですよ。
その中で、不登校に悩む親子の豊かな毎日(しんどさも含めて)のほうが
ずっと当たり前で、確かな手ごたえのある日々のような気がします。
困ったことでもない限り、子どもの「心」になんて、誰も注目しないのが
今の学校です。
いっぱい話を聞きたいなあ。
毎週でもいいよなあ。
けど、親御さんは解決策だけ求めてるんだよなあ・・・。
そうじゃないんだけどなあ。
心理学の肩書もなく、単なるひとりの女性だけど
みなさんがどれだけ尊くて、素晴らしい経験をしているかはわかるし
語っている時の生き生きした表情を失ってほしくないと思う気持ちは
人一倍強いと思っているのだけど。
何も悩むことなく、会社に入って結婚して
嫁に何もかもしてもらって、子どもも育って
「でも、モテないです」と悩んでるアラフィフ男性の薄いことったら!
そら、モテないよな( ´∀` )
自分の偏った部分で、世間から受け入れられなくて
困って悩んで自分を確立していくところが大事なんだよ。
それが魅力ってものになるんだよ。
世界に馴染んで「自己肯定感ありまくりでした」っていう人に
魅力があるのかな?
わたしは、そういう人にはちっとも興味をそそられない。
若い頃はそれでブイブイ言わしてる人ってすごいなと思ったけど
この年齢になると、若い頃に陰を背負った人のほうがずっと面白いです。
深い話もできるし。
だから。そういう視点で世界を見ていると
不登校で悩むということが、どれだけ宝物かということがわかるんです。
大変だと思うし、辛いのも経験済みです。
今も、解決などしていない。
子育ては一生ですし、社会もどんどん変化していて、
子どもにとっても生きづらい社会になってるのもわかるし
こればっかりは、個々の家庭でどうなるものでもない。
それでも、どんな時代でも、自分を大切にして生きていくことはできるし
たくさん転びながら学んでいくこともできると思う。
成功体験を伝えたり、それで学ばせようとするのも
ひとつの役割カモしれないけれど
私なら、延々と続く悩みの日常を聞き続ける役割がいい。
誰かが拾っていくことで
その人の悩みの日常が、質を変えていくと思うから。
今年は長く紅葉が楽しめていいね!