不思議なことがあった
今日はいいお天気でしたね。
わたしは、会社をお休みしてゆっくりしていました。
学校が休みになって、ほんとに大変なことです。
その一方で、いやいや、不登校の子どもの親はそれを一人で孤独に背負ってきたんだけど・・・と思いますよね。
つまり、誰も何も保証してくれない、この国は。
子どもが学校に行かないだけで
母親が仕事をやめなきゃいけなくなったり
給食を食べられなくて、毎日昼ごはん作ったり。
全国の学校が休みになった途端、色んなサービスが生まれてますけど
そんなことできるんだったら、不登校の子供たちのためにやってくれたらよかったのにね~~~(愚痴)。
ほんで、学校に行かなくても別に困らないよ。
試験対策ができないだけでしょ。大人になるには関係ないさ。
すべてを家庭や民間に丸投げ。学校にすべてを託してるこの国。
って国も結局学校を救わない。
まあ、なんだろな。
日本に民主主義が根付かず。
根付かないように必死で貴族の亡霊たちが頑張ったってことなんだろうね。
不登校は親子問題じゃなくて政治問題だよって
わたしは長男が不登校になった20年前から言ってるけど
ようやく可視化された。こんなタイミングというのが嫌だけど。
すべてを自己責任にしてきたツケがこんな風にやってきたところで
これからの生き方が問われる気がします、ひとりひとりの。
「家」や「ムラ」「一族」だけを守るっていう感覚の中で生きてる人たちは、見ず知らずの人と助け合おうとはしない。
その恐怖が買い占めの原因のひとつだと私は思っておりますよ。
どこの誰が大量にストックしているのか、まあ、いずれわかるのかもですが。
********
そしてそして~
私の身に何やら不思議なことが起きました。
土日祝日含めて、会社を休んでいると
家にいる息子の気配がずっと気になって
家にいても落ち着かないんです。
特に何も期待したり、口うるさくも言わないんだけど
同じ家に誰かいる、というその気配が、私にはちょっと辛い。
で、今日も朝からなんだか気持ちがざわざわしておりました。
どうしようっかなあ~~~どうしたら出て行ってくれるかなあ~~
今日はわたしは家から出られないんだよね~~~みたいな。
ところが、何がきっかけかわからないのですが
その気持ちがさっぱりとなくなってしまったのです。
急に。
心の中のどこを探してもありません。
・・・
どこ行った?
「気にしない」でもないし「気にならない」でもないんです。
引っかかってたものがきれいさっぱりない。
お掃除されたかな。
ひとつ、思い当たるのが、自分の本心を観たことです。
今まで、何十年も「何がしたいの」と聞かれても雲がかかったように
何も見えませんでした。
そりゃそうです。「したいこと」って前向きで仕事に結びつくことしか
答えとして認められないと思っていたし、相手の望む言葉はそこだろうなと思っていたから。
芸術系~とか独立~とか、聞こえのいい回答を求められてる気がしてね。
いや違うしって心は言ってたんだよね。
やっと「これが”したい”って思っていいんだ」という安心感がやってきたのが2日前のことです。ほら、働きすぎてる人が「もう寝たい」って言うじゃない?
そういう「したいこと」が本心だったりする。
だけど、周囲は「何するの?(わくわく)(きらきら)」を求めるから
「寝たい」に蓋をしてしまう、みたいな。
自分の思い通りに生きてても、天罰はくだらないということが
わかった今だからこそ、やっと自分の望みに気づけた。
ね。「自分の好きなこと」「やりたいこと」すら、周囲のプレッシャーにさらされてる。私は、私に期待してくる(と、私が思ってしまう)相手を全部遠ざけた理由は、
本当の本当のわたしになりたかったから。
やっと近づいた。
だから、心のお掃除が進んだのかなあと思っています。
ピアノが弾けるからって音楽がやりたいわけじゃない。
本が好きだからって本屋に就職するわけじゃない。
料理が好きだからってパティシエにならなきゃいけない理由はない。
子どもが不登校だからって、カウンセラー目指さなくていい。
夢のその先に、本当の自分がいる。
生き方は職業ではないんだよ。
ということで。
今日はおやすみなさい。