他人が教えてくれること
また冬に逆戻りや~~~
気圧やら気温の変化が気分に影響してしまうのが辛い時期です。
年始年末からの急激な出来事によって
私はまた、自分を見つめ直し始めました。
鬱の時以来かもしれない。こんなにじっくりと向き合うのは。
それほどに、これまでの自分をやめたくなることが
続きました。
職場で人間関係が揉めた時は、自分を取り戻すのに精いっぱいだったんですが
その時はそれ、自分を必要以上に責めないという課題をこなしていた感覚。
今思うと、その人たち(職場の嫌いな人)に対する気持ちも
私の一面を現していたことがわかります。
知識として「自分が嫌いな人は、自分が認めたくない自分なんだ」というのがあるけれど。それを認められない時期には、無理にしないほうがいいし、必ず、嫌な感情抜きにして「ほんまや!」って気づく時が来るものだと思います。
(だから、無理して嫌なワークとかしなくていいんだよ~。)
私は、とてもせっかちで、慌てん坊な一面があります。
だけど、本質はめちゃくちゃ「ゆっくりさん」なんです。
そこに今日気づいたんですよ!もう遅いって?(笑)
自分の内側のゆっくりなリズムと、世間の「すぐに結論ください」のリズムが合わなくて、でも、合わせなきゃいけなくて、何とか合わせられるだけの頭脳があったので
必死で慌ててました。結論急かされると間違うんだよね。
わたしは、小学校1年生の時、給食食べるの一番最後でした。掃除時間も食べてました。だけど、6年生になる頃には速くなってたのです。
どうやったら急いで食べられるかを学んだのです。
そこが私の才能であり、今まで自分に気づけなかった理由でもあります。
もしこれ、学べなかったら、ずっと一番最後まで食べる子どもだったら。
私はそのことについて考えただろうし、そのままの自分を認める以外なかったはず。
ほんまはゆっくり食べたいのに、早く食べることができるようになってしまったがゆえに、自分自身をも騙すようになってしまったのです。
何もかもがそうで、自分の内側のペースとは違う時間で生きてきて。
そのうちに「わたしは、いつも何か(自分以外の何か)に急かされて動く」という思い込みができ、その思い込みが現実になっていき・・・今に至る・・・わけです。
私のことが苦手だと言った人たちは
みな、自分のやり方を頑なに(間違ってても、仕事として間違ってても!←そこはどうかと思うよ、やっぱり)やり通す人たちです。
見事に私の願望を目の前でやってた人たちでした。
息子たちの行動もこれでわかったというか。
わたしは、他人に必死に合わせて生きてきたから
へとへとに疲れてしまうぐらい合わせて生きてきたから
全く他人に合わそうとしない人たちを見ると
誰よりもいらっとしたのかも。
もういいよ、自分のペースでやっていいよ。
誰かにそう言ってもらいたかったんだな。
人生の後半戦。誰にも命令されることのない人生をやっと見つけたのだから。
これからは、本来の自分と同調して生きていきたいと思います。
そしたら、他の人の人生も、ゆっくり受け止められると思うし
人とのキャッチボールがなめらかになるような気がしています。
おばあちゃんもおばちゃんも父もせっかちだったから、遺伝だと思ってたんだけどね。
父のペースで動かないとダメだったのよね。うちは。
で、私がのろのろしてるのをいつもみんなが白い目で見てた。
あ~思い出しちゃった(爆。
いいんだよ、もう一生のろのろしてやる!
納得するまで動かないぞ。
という一日でしたとさ!
仕事がなくなったのに就活しないのはそういうことですのえ~
急がされるのはもうごめんなのだ。じっくりやるのだ。
がんばれ!あなたならできる!大変だよね!等々の励ましはいらないのだ。
私の人生に口を出さないでほしいのだ。見守っていてさえくれたらそれでいいのだ。
アライさん口調で締めておきます。
では。