風に吹かれて
おはようございます。
今日は美味しいコーヒーを淹れました。
めまぐるしく日々状況が変わる世間の中で
ひとりひとりの生活や気持ちはそれほど変わらず
一喜一憂して生きるものですね。
そろそろ本気でブログやTwitterを活用してみようかな~。
それで、ですね。
わたしはもう、長い間、生きづらさを抱えていて
それに対する答えを探し回っているのですが
ほとんどの人が「怒りや傷をたくさん持ってる人」と私を称します。
だからどうしたらええねん!っていう話なんですけど(笑)
先日は「たくさんの悲しみや苦しみを平然と心に秘めている」と言われました。
その言葉がとても気に入って(というか、ああ、そうだな~と思ったのです)書き留めてみました。
わたしは、自分のことしかわからないので
他の方々は、悲しみや苦しみを家族や周囲に投げつけることで自分で持たないようにしているのか?どうなのか?それはそれで羨ましいなと思いました。
自分で抱えないんだな。
今年は、自分の傷が癒える時期が来たようで、そのようなイベントも発生しています。
相変わらず楽しくはないw
素直になれとか、感情を出すのが下手とか、もう散々なことを言われる日々。
だけど、少し前ならそこにもたどり着けなかったので、本気で自分の変化に向き合うことになっているようです。
それでつらつらと思い出したのですが
小学生の時、例えば、卒業式で「泣く」とか、球技大会で優勝して「泣く」とか
わたしにはできなかったんですよね。
わざとらしくて。
結局あれ、教師の誘導、洗脳に乗っかってるだけじゃないかと思いますよね。
今もそう思います。
卒業式は「悲しいもの」と決められてるから、悲しい自分を出したほうが「ウケル」し、自分も感動に浸れて気持ちいい。
もしかして、本当に悲しい人もいたかもしれないけど
周りを見てると、みな、大人に上手に見せてるんだなあって。
わたしは、ミュージカルや映画で号泣するタイプ。
誰かに見せるための涙は流さない。
たぶん、それが習い性になって、「感情を表せない人」と思われるのかもしれないなと思ったのです。
日本人ってたいがいそうだと思うし
男の人は、別に感情に素直じゃなくても責められない。
女の人にわかってもらえれば、俺は別にうまくやらなくていいじゃんって思ってる。
そこもまた、腹立つんですけどねwww
お互いじゃないですか?
素直になったら愛されるっていうのなら
男はなぜやらない?どうして泣かない?どうして愛してるって言わない?
不思議な話です。
それは置いといて。
なんていうかな、精神世界では、いわゆる発達障害的なものは重視されないので、
私は、感情が湧き上がるのにとても時間がかかるタイプ(あとで気付く)なのですが、即感情、即行動、みたいな人間が「よき」とされる評価軸であるのは
とても学校評価的な人物評価の下し方をするなと思いますよね。
脳のタイプが違うことに対する認識がないものね。
なんとなくの理想を勝手に描いて、そこに誰もが当てはまると思ってる的な。
なので、わたしはとてもゆっくりゆっくり自分を処理していくことを
一緒に見守ってくれる人がいなかったという歴史の中で
ようやく自分自身をメンタルコーチとして迎え入れる準備ができたのだと
思っているところです。
大人になるってそういうことね。
自分が自分の理想の先生になればいいし、自分が自分のコーチングをすればいい。
だって。私を理解できるのは私だけなんだし。
誰のどんな言うことも、結局は「その人の頭の中で作った他人」に過ぎず
私の実像とはかけ離れていくばかり。
そういう風に見える私もいるのか、というパズルのピース。
だから、誰もが自分の心のままに生きていけばいいと思うのです。
誰かに許可を与えてもらう生き方などやめればいい。
今回のコロナ騒ぎでも、その辺りがはっきりしてきたような気がしています。
いやしかし、何が面白いって(面白くないけど)
私が子どもたちの不登校で苦労したことを、誰もが経験したんだねえ。
すごいねえ。まさかそんなことが起きるとはね。
給食が食べられないコト、勉強を教えてもらえないコト、卒業式なんて関係なかったこと。外に出られないコト、そしてそれに対して何も補償がないこと。
全部全部当たり前だった。
時代の変化を感じるし、こういうことで、世界が変わっていくんだ。
隠されていたヤバいことが明らかになっていくんだ。
人の在り方をがらっと変えるのかもしれない。
わたしは、ゆっくり楽しく生きています。
風に吹かれて。
シャトレーゼのロールケーキが安価でおいしい。イチゴをトッピング。