風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

いい子はつらいよ

FBに書きなぐったのを書き直すコーナー~www

 

今日は久しぶりに楽しいことがあって

「自分の機嫌は自分で取るに限る」と改めて思いました。

夕食は息子が作ってくれたし。

おやつもあるし~。

 

素直じゃないと言われることの多い人生です。

深く考えたこともなく、理由を探すとまた「考えてる」とか言われる。

ほっとけ。

理屈がわかったら手放せることも多いんやで>私調べ

 

私が感情を自分で封印し始めたのは

おそらく学校生活と同時だと思います

 

何がどうしてそうだったのかわからないのですが

(当時、始まったばかりの公文教室に5歳で通ってたからかなあ?)

他の子ども達が、どうしてそんなに大人の感情に従うのかが

わからない子どもでした。

 

私はけっこう純粋に泣いたり笑ったりする上に

あまりに我慢しないので、家族からは嫌がられておりました。

だけど、学校のその「全員で泣きましょう」的な誘導に

私は引っかかりませんでした。

 

自然に笑ったり泣いたりするのは嫌がられるのに

先生の言葉に従って泣いたり笑ったりするのが「素直」と言われるのが

マジでわけわからなかったです。

 

それは、大人になってもあるでしょ?

セミナーで感動を売る人とか。

お涙頂戴にもっていくことで、団結するとか。

素直以前の問題じゃんね。

 

わたしの「本気の素直」は、そこではないんですよね。

夕陽に感動して泣きそうになったり

歌を聴いて泣いたり

心から楽しくて笑ったりはしゃいだり。

そういうことです。

 

教師の洗脳によって、感情を「現しなさい」と強制されるのが嫌で

「感情を他人の前で晒すことは危険」と判断しました。

それで、自分自身の中の感情すらも、いつの間にか「わたしはこういう気持ちだよ」とは言えなくなりました。

 

「お気持ち」って利用されるじゃないですか。

「あなたも同じ気持ちなのね!」と勝手に賛成派にされたり。

「あなたは悲しくないの?」と変人扱いされたり。

気持ちを言葉にすることのヤバみを、私は昔から知っていたのです。

 

同調圧力の強いこの国で、本当の自分の感情を「人に対して明らかにすること」は「自分を売り渡すこと」と同意なんだと、幼い私は判断していましたし

それはある意味、正しかったと今も思います。

 

ただ、行き過ぎて、大好きな人や友達にも「感情を言えなくなった」んですね。

 

家族にさえも。

 

そしておそらく、自分自身にも。

 

さっきTwitterで読んだのですが「悲しい時に悲しめなかった」ら、後で不調をきたすそうですね。

わたしは、「みんな一緒に同じ感情を」が嫌だったので

悲しい時も悲しみを感じないようにしていたのかもしれないなあと思います。

 

自分のタイミングがあるのに、それを許されない環境があったら

そりゃそうなりますよね。

 

大人になったわたしは、もう自分のタイミングで悲しんだり喜んだりできるようになりました。ようやく、封印を解く日がきたのです。

 

息子はいてもほぼ一人暮らしのようなものです。

涙は勝手に流せますし、笑っても誰にも聞かれません。

おかげで、好き放題、感情味わい放題やっております。

そうね、こういうことを子どもの頃にやりたかったね。

 

他人に対しては、やっぱり警戒心が働くので

タイミングをはかってしまうところがありますが

どちらかというと、男性には出しやすいみたい。

 

子どもを「叩きたい」と思ったら「叩くこと」が素直な人であるかのように

言われる風潮もあり、わたしは、「それは違うだろ」といつも思うのですが

私のように「我慢する親」を「素直じゃない人」と評価する向きもあって

え?叩く人のほうが素直でいい人扱いなの?おかしくない?と

混乱しておりました。

 

その例で言えば、DVをする男性を擁護する声も同じですよね。

「だってDVされる方に原因があるんでしょ。俺は素直に感情を出してるだけだよ」というような。

 

無邪気で素直で許されるわけないだろ、悪気がないっていうだけで許されるわけないだろ。知性はどこに行ったんだ?猿か?・・・となります。

 

つまるところ、自分自身がその感情を感じて味わっていればいいのであって

他人に対して「怒りたい」「叩きたい」を素直に放出することではないんだろうなと。

その辺のバランスや違いについて、きちんと説明できる人はあまりいません。

 

だから、言葉としては「素直になれ」の一言で「アドバイスしたったオレ」になるわけですよね。

適当過ぎ~~~。

 

で。私から見て、周囲から「素直」と絶賛されてる人の、常識にまみれてる具合もすごくてですね。

欲望に制限かけてる人も多いですよね。男はこうすべき、女はこうあるべき、みたいな範囲で「素直」でいらっしゃる。

いやわたしは、そこ超えますけどね。

もっともっと自分の欲に忠実です。

 

コミュニケーション上で苦手なだけで。

 

私の見ている世界は、愛も希望も夢もあふれるほどあって、絶望も悲しみも苦しみも深く存在していて、自由に満ちている。だけど、それを他の人と「共有する言葉」を持たない。それが孤独につながっています。

 

口から出た途端、薄っぺらくなってしまい、好きな人には好かれたいけれど

好きじゃない人に好かれるのも面倒だし~~~。

あ~~~もう、どうしたら!な葛藤を続けているような感覚。

 

こうして、ブログを書いているのも、自分の中にある「会話では言えないコト」を表現するためです。

 

心の中を、自分が見せたい人にだけ見せられたらどんなにいいだろうか。

 

そんな感じでしょうか。

 

繊細な心を守るため、鉄壁の城を築いていたわたし。

今はけっこう心臓に毛が生えるくらい、地味に強くなってきたので

感情を現したくらいでは人に食われないですね。

あ、鬼か。世間という鬼に食われそうになってた。

 

この先は、私が感動してきた世界を見せるためにあるんだなと、ふと思いました。

私から放出する。私が味わってきた深い感情を。そして、分かち合う。

 

ちゃんと守ってきてよかった(#^^#)潰されなくてよかった(#^^#)

捻くれ者だのなんだのとやいやい言われたことも、勲章になります。

 

明日は雪が降るそうな。

 

寒さに気を付けて。

 

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