風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

伝える2

いいお天気でした。

少しお散歩して、カフェに入って

ゆっくりとした休日を過ごしました。

 

今日もまた、新たな気づきをいただいて

毎日自分の変化が著しいです。

 

時々、考えること全部を放棄したいと思うことがあります。

私の一番自然なあり方としては

「自然の中でぼーっとする」なんです。

だから、学生時代にキャンプのスタッフとして

山の中にいることができた。

活動自体が好きだったわけでもないし

体力もなかったのに、

どうして4年間も山に登ったのかなあと不思議だったのですが

山自体が私の元気の素でした。

 

山にいる時だけは、緊張して常に周囲をうかがう必要がなく

ただぼーっとそこにいるだけでいい時間がありました。

 

頭の中が騒がしい(生まれつき)私にとっては

とにかく自然の中にいることが必要なようです。

 

それから

言葉、感情、行動が一致しているかどうか。

わたしは、そもそも、自分の感情の複雑さに困っていて

でもそれを丁寧に拾ってもらうこともできず

ただただ、持て余した自分の感情に振り回されないよう

こうして文字でしたためるか、蓋をするかでやりすごしてきたように

思います。

 

私のブログが読みやすいと思ってもらえるのは

常に、自分の感情を整理したいと願ったためでもあり

感情が湧いた瞬間に「これは楽しい!」みたいな風に

頭の中で変換されず

時間を置かなければわからない(理性として)状態だったからなのではないかと推測しています。

 

こうしていちいち考えるのも、癖になってしまっているのですけれど。

というのも、たいがいの親というのはそうなのかもしれませんが

赤ちゃんや子どもの感情を「決めつける」ことってありませんか?

「あなたは楽しいんだよね」とか。

 

わたしはそれがとても不快で。

自分の感情を人に名付けられたくないというプライド(笑)があって。

必死で言語化したかったんじゃないかなあ。

 

違うんだよ!っていくら言っても、大人は聞いてくれない。

言葉にしなければわかってもらえない。

今となれば、自分だけがわかっていればいいし

自分自身がそれを受け入れればいいのですが

そこはもう明らかに、自分に内面化してしまったのでしょう。

 

そして、感情を説明しようとしすぎて、余計なことまで言ってしまう。

わかってもらおうとして雄弁になりすぎてしまう。

 

そんなとこかなあ。

同じような人がいたら嬉しいな。

 

素直になるだけで生きてこられた人がうらやましいし

わたしはやっぱり「待って」欲しかったんだな。

自分を。

 

ゆっくりゆっくり生きたかった。

 

生きるスピードが同級生と違いすぎて

ついていくために、色んなものを犠牲にしたかもしれないな、とも思います。

 

でもね、不思議なことに、この一年間で仕事のやり方もずいぶん変わったんです。

同僚が「働きすぎだから」と一緒に休憩してくれたり

身体が言うこと聞かなくて休まざるを得なくなったり

自分のペースでゆっくり仕事ができる環境がどんどん整ってきていました。

同じ仕事をしていても、めちゃくちゃ忙しい人もいるけれど。

 

過剰な責任を手放したり、無理をやめたり、

自分にとっては大きな冒険を繰り返して

やっとここに辿り着いた(ってスタート地点ですけどw)。

 

もっともっと丁寧に自分をみてあげたい。

急ぎ過ぎた分だけ、立ち止まって。

 

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今日もクリムトが好きな人と出会いました。