ぶつかりながら
昨日一日眠った。
仕事を休んでずっと寝ていた。
長い山道を登り続けているような気がする。
今は、見晴らしのいい丘の上にやっと辿り着いて
一息ついたところだろうか。
でも、山頂は見えない。
結婚して親から離れた後、私は他人とたくさんぶつかってきた。
これほど嫌われる人間がいるんだろうかと自分で思うぐらいに。
でもそれはすべて、自分に至る道でしかなかった。
「あなたはそのままでいいんだよ」と言ってもらっていたのに
自分を受け入れてくれない人ばかり、受け入れようとしていたし、受け入れられたかった。
他人と違うことを恐れた。
だからこそ、相手との共通点を見つけたかった。そのために頑張ってしまった。
人生も半分を過ぎ、私はようやく、私の世界が理解されないものだということがわかってきた。
それでよかったのだと。
誰に受け入れられなくても、私は生きていける。
そのままで、私のままで、生きていける。
孤独になるかと思ったけれど、ならなかった。
理解されない自分のままでいることを、自分に許してみた。
そしたら、大きな世界の中で、私は許されて生きていることがわかった。
私を頼りにしてくれる人もいる。
頑張りすぎだよ~と慰めてくれる人がいる。
息子は私と一緒に暮らしてくれている。
相談に乗ってくれる人もいる。
私を気に入らない人もたくさんいるけれど、私を嫌いじゃない人もたくさんいる。
私の原家族は、私を気に入らなかった。
だから、世の中の人がすべて、私を気に入らないのだと勝手に思い込んでいた。
気に入られるために、様々なことを試したけれど
そのままの自分で愛されたくて必死で主張してみたけれど
私を愛したくない人は、何をしようが愛してくれない。
わたしは、わざわざ自分を嫌う人ばかり見ていた。
その人たちが、どうすれば私を嫌わないでくれるかと実験するかのように頑張った。
そんな必要なかったのに。
自分を認めてくれる人がいればそれでよかったのに。
私と同じような人はいると思う。
家族に認められたくて頑張ってしまった人は、世の中に対しても頑張ってしまう。
無理して適応しなければと思ってしまう。
でもね、無理させるような人に迎合する必要はないんだ。
ぶつかりながら、やっとそれに気が付いた。
違うと思ったら離れたらいい。やめたらいい。
頑張らなくていい。
わかってくれる人のために頑張ればいい。
こつこつと生きていれば、理解しようとしなかった人も、私という存在を諦めることだろう。「何を言ってもこいつは変わらないぞ」って。
今日は、息子がココアを作ってくれた。
踊った後のココアは、体中に染みわたる栄養になった。
ゆっくり、ゆっくり、今日は眠ろう。