未来はいつも
人生でほぼ命を懸けていたと言っても過言ではない「食事作り」を徐々に手放してきた。
今日は夕食すら適当に済ませた。
食は命であるし、とても大切で、肉を食べない時期もあった。
けれど、引っ越しを決めてからというもの、食べることがキツくなった。
そして、何より、「誰の世話もしない」日々に突入したのがわかった。
これまで、いつも、どんな時でも、誰かのために生きてきたし、自分を動かしてきた日々だった。それがこんなに簡単に手放せる自分になるとは思いもしなかった。
様々なことが重なって、身体が動かなかったり、眠気に襲われたり。
急にお友達から夕食の誘いがあったり。
どうして自分に「ご飯づくりの義務」を課していたのか、今では不明である。
今、人生で一番「何もなく」生きている。
自分が何者でもないような気がしている。
離婚した直後の、「一人になりたくない」焦りや、寂しさを感じないための必死さや、お金の不安などがひとまず落ち着いた。
仕事でもプライベートでも、楽しくないことも当たり前のようにやってくるけれど、それはそれとして、味わう術を少しだけ身に着けた。
自分や他人をあまり責めることなく、起きるがままにしておく。
自分ができることを一生懸命取り組むだけで、私を取り巻く世界は優しくなる。
以前のわたしは、ひとりに嫌われることすら怖かった。
世界の終わりが来るような恐怖を感じたものだ。
それがどうだろう。私を苦手だと思う人はごまんといるし、避けられないし、自分が招いたこともある。だからって私を頼りにし、私を好意的に見てくれる人が減るわけでもない。
人間関係すべてが上手くいけば、それはそれでいいのかもしれないが
その分、何かを我慢し、犠牲にし、心が暗くなるぐらいなら
少しぐらい嫌われたっていいと思う。
その人に好かれることで、何かとてつもないプラスがあるのならいいけど。
たいていは、自分を嫌いな人に好かれても、嬉しくないものだ。
わざわざ嫌われに行く必要はないけど、うっかり嫌われたって、それで自分を責めても仕方ないのだ。それはそれ。自分の魂や人格は、そんなことでダメになったりしない。
それよりも日々、自分を好きでいてくれる人と楽しい会話をしていればいい。
今日は、職場でコーヒーを二杯もごちそうになり
「明日の引っ越し、頑張ってくださいね!」と笑顔で送り出してもらった。
毎日職場で虐められていた過去の私は、きっと驚くことだろう。
義務を手放した私がどこに向かうのか。
それは、明日の私しか知らない。
未来はいつも自分の中にある。