伝える
今日、ある場所に行ったら、清水の舞台から飛び降りるつもりで買った(半分嘘w)ダウン、めっちゃ喜ばれました。
本気で気に入ったものは、本気で自分をあげてくれます。
そのパワーの凄さを体感したので、これからもそのスタンスでいこうと思います。
そして、何十年も悩んできたことの意味が
やっと見えてきたという・・・この不思議。
しばらく前から「伝える」という言葉がずっと自分の中に響いていて
腑に落ちたんですね。
わざわざ「コミュニケーションしにくい人たち」を私は周囲に配置して
「伝える」ことを必死で試してきたし、諦めも生まれ、諦めないことを学んだ。
生まれてから、自分の言いたいことがすんなり伝わったり
別に伝えなくて済む環境や、性格であったなら
私はもっと違う道に進んだと思う。
家族の中にいても、学校の中にいても、わたしは「みんなと同じ世界」を見ることができなかった。その原因もわからなかったし、対処法も知らなかった。
でもそれは、誰も気づいてなかったんだなとわかって
私は今、心底ほっとしているのです。
誰一人、同じ世界に住んでいない。
孤独を感じないように、一緒のふりをしている。
では、寂しいのかと言われると、全然違う次元で全部がつながってる、という仕組み。
疎外されている人は誰もいないけど、クローンのように同じ考えの人もいない。
だから、「伝わる」のは、言葉ではないのです。
ただ、言葉を信じてる人は、言葉で思い込みを作るから、「伝わらない」と思ってるだけなのかもしれません。
でも、そこを逆手にとって、言葉でどれだけ伝わるかのゲームをするのが、私の楽しみでもあって、こうして文章を書いているんですよね~。
ある場所で、私の書く文章が色っぽいと言われたことがありまして。
全くそういうことを書いてないのに、滲み出ることもあるのか、と思ったものです。
「言葉ではないものが伝わる言葉」って超面白くないですか?←わたしだけか~?
これからも「伝える」を追求するようですよ。
さて。
これまで適当にやってきたこの国の諸々が崩れてまいりました。
助け合えるかどうかが分かれ目なのかなと個人的には思っております。
学校を休みにしたら、貧困が露わになり
学校に依存してた業者が潰れそうになり
学校を福祉保育施設にしていたことが可視化された。
教育機関じゃなかったのかよ←子どもが不登校の時に私は理解してたけどな。
すべての制度が音を立てて崩れる時代の目撃者になってるのかもしれないですね。
何を拠り所にして生きていくのかが問われる時代になります。
現実に対処しつつ、内面をお掃除しつつ、淡々とまいりましょう。