風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

寂しい

寂しいは寂しいんだよ。

 

パートナーを思い通りにしたいからひとりが辛いんだろとか

自立してないからだとか

目の前の幸せがわかっていないからだとか

 

たくさんの説教が溢れているけれど

 

寂しいから寂しいんだよ。

 

その寂しさをしっかり味わえる人が強いんだと思う。

 

なんとなく友達がいて、なんとなくパートナーがいて

なんとなく親兄弟子供がいて

だから寂しくないなんて言ってる人よりも。

 

ひとりの寂しさを「寂しいの」と人に言える人になりたい。

 

たとえ何を言われてもかまわないくらいに

当たり前に寂しさを語れる人がいい。

 

寂しいけど何か?死ぬときはひとりなんで。

 

心の底からそう思えるまで、わたしは遊んでくれる人を探し続けるし

寂しさとも向き合っていくつもりだ。

 

学校という場所から子どもが離れた時

学校に依存している今の制度の中の人たちが見えた。

離婚をして、家族という制度の中に安住している人たちが見えた。

 

それが幸せ、それが当たり前。

そのプレッシャーと周りの空気、テレビや雑誌の雑音から身を守るのが精いっぱいだったし、当たり前を正義とも認識しないで押し付けてくる(という自覚もなく)なんの悪意もない言葉に打ちのめされることもあったけれど。

 

まるで寂しいと思うことが、その人の欠点であるかのように言う人の言葉を真に受けないだけの自分にはなったと思う。

 

拗ねてるんだろう、本当は友達欲しい癖に。

そんな意地悪も聞いたけど。

 

それも全部、自分が自分に言っていることだった。

 

寂しさに沈みながら、溺れないように、たまに浮き輪を求めてさまようのもまた、楽しい。

見せかけの幸せや団らんよりも大切なものを手に入れたいと思ったあの、遠い過去の自分が、今を連れてきたように思う。

 

寂しいと言ってる人を見下すだけのアドバイスを聴く必要などないと思うし

だけど、寂しさというものは、人が生きている限り逃れられないと私は思う(だって、究極人はひとりだから)ので、寂しいと何度言ってもいいと思うんだ。

 

わがままをぶつけられる相手が側にいるからって、それは偉、わけでもなんでもなくて、わがままを言える相手がいない人が自分で対処しているノウハウのほうが尊い、私の場合は。

 

男が女に甘え倒して、見ず知らずの女性にまで気を遣わせて、暴言吐いたりするけれど、それは「寂しい」と言えないことも原因の一つだと思うし、ひとりでいられない男に説教する人がいなくて、ひとりでいられる女性にだけ説教する人が現れるのも不思議な現象だと思う。

 

男も寂しさを自覚して、パートナーがいない幸せもあるよって思えるといいんじゃないかな。

そしたらセクハラも減るかもね。

 

合言葉は「寂しい」で入れるお店があったら面白いな。

「寂しい、こんにちは」「寂しいですね、今日も」とかあいさつしあったら楽しそう。

妄想広がる~

 

どんな感情になってもいいから、手放さなくていいから。

「寂しいぜ、v( ̄Д ̄)v イエイ」のままでいよう。

 

ということで、おやすみなさい。

 

眠りの浅い友人にエールを送ったので今日のわたしは満点です。

 

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