解明される
今日は雨。
久しぶりの雨。
水が満ちてくるようです。
身体も潤ってくるのがわかります。
パソコンが生まれて
わたしは自分を理解しやすくなりました。
例えば、不登校について。
わたしは、生活を不登校仕様に変更しました。
それだけのことでした。
ソフトを入れ替えただけのことでした。
しかし、学校に行っている人たちのソフトに比べて、高くつく。
給食を食べてくれないから、手間暇がかかり、無料で勉強を教えてくれるはずの先生もいなくなりました。
だから、同じ子どもなのに、ソフトが違うだけでどうして高くつくのか?それだけ親の負担が増えるのはおかしいじゃないの?と思ったのです。
それを「パソコンをなんとかしないと」「そのソフトが違法じゃないの」「かわいそうなパソコンだからなんとかしてあげたい」と言われる。
なんでやねんって話です。
あなたのパソコンが正解だという証拠などどこにもないのに「こっちのほうがいい」と思い込んで、うちのパソコンをディスってくるんですから始末に負えません。
人間みな同じやん。部品もね。
我が家は「不登校ソフト」と「離婚ソフト」を入れて、快適に動くようにい工夫したのです。「不登校ソフト」を入れるのが嫌で、抵抗して、バグって、なんとか「元に戻した」「それが幸せ」と言ってる人の何と多いことでしょう。
与えられた人生のソフトを入れるのがそんなに嫌なんですかね。
バージョンを替えたくないのでしょうね。
奥のプログラムを変えてしまえば、不登校ソフトなどなくなりますよ、とか。
離婚ソフトはかわいそうじゃないですか~どうしてプログラムを書き換えないんですか~とか。
あなたね、勝手に書き換えて、そのせいで、他のプログラムがバグっても責任とってくれないでしょ?っていうことです。
パソコンにとって、ひとつのプログラムを触るのは、怖いことなんですよ。
それがどこにどうつながっているかを理解していないと、別のところがおかしくなる。
人間も同じです。
自分のパソコンがそれで動いたからって、別の機種の違うもので同じことができると思っているなんて、それはiPhoneとAndroidで同じことができると思ってるのと同じことです。
エクセルやワードを入れれば、同じことができるように「見える」けれど
その奥にあるプログラムは全く違うので。
それを、人間でいうところの、本当のカウンセラーは、慎重に、自分自身の研鑽も積んで行われるのに対して、なんちゃらヒーラーさんやなんちゃら○○さんは、慎重さもなく、仕組みもよくわかっていない状態で、人のパソコンのプログラムを触るという恐ろしいことをやってしまっているんですね。
というようなことを考えていましたら
「データおたく」を自認する人に出会って
面白い話を聞いて共感してきました。
私にとって、人生の出来事などは、「データ」なんだなあということです。
データの積み上げをしていると、思いがけない景色が見える。
そういう話をしました。
まさにその通りに、私は世界を眺めていたのです。
あらゆることをやってみて、結果を集めていくことが大事。
顔色を読んだり、人にマウンティングする暇などわたしには、ない。
人生経験というデータを集めていくことが幸せ。
人からちやほやされるよりも、こうして、似たような思考の人に出会って
自分を解明することや、全く違う刺激を与えてもらって新しい自分を発見することが
生きている醍醐味なのです。
たった一人の人に縛られて、その人とすったもんだをする一生ではなくて。
その方との共通項がもうひとつ。
「数式が急に思いがけないところから解けるようなことって快感ですよね」!!!
愛じゃなくて、脳が喜ぶことがしたい。
脳がびっくりしたり、驚いたり、とろけたりするような経験がしたい。
それがなんとかホルモンを出して、わたしを至福の世界に連れて行ってくれるのでしょう。
毎日がアハ体験状態なのです。ひらめいた!の繰り返し。それが幸せ。
シンガポール料理をいただいてまいりました。
美味すぎて、いつもは食べない量を食べてしまいました。
お腹いっぱいです(*´ω`)