風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

出来事がすべて

ようやく、夕方が涼しく思えてきました。

慣れてきただけかしら。

 

そして、私も徐々に落ち着いてきたようです。

 

何かあっても優しい人がどこからか現れて助けてくれる。

守られているのを感じます。

わたしは、よく「男性不信」とか言われますが

私は人を信じているようです。

誰にでもひとりで会いに行きます。それはきっと、私が自分と相手を信じているからでしょう。それで、何かあったとしても、私は怒って終わりです。

次はやめようとか、思わない。

 

 

信じている分だけ、がっかりすることも多いだけです。

傷つくぐらい人を信じられることの素晴らしさにやっと気づいたところです。

でもね、人を信じても騙されたりしない、不思議とね。

 

子どもが不登校でも大丈夫だって信じてたし、離婚しても生きていけると思ったし、子どものことも自分のことも、思いっきり信じてるんです。

不安はたくさん抱えて生きているけど、不安と自信は両立するみたい。

なぜなら、不安は感情で、自信は体の中に存在するものだからなのかも。

感情は味わうことでなくなっていくから。

 

それで、今日閃いたことを少し。

 

何が幸せなんだろうとずっと疑問に思ってました。

例えば「あなたは過去にしがみついてる、今の幸せに目を向けて」というアドバイス

でもさ~今が幸せに思えないんだけどっていう話なので。

それができたら、医者もカウンセラーもスピ系の仕事もなくなっちゃう。

そしてまた、「あなたは、子どものことを心配していることで、心配を引き寄せてるよね」みたいなアドバイス

そういう「心配する親はくそだ」というバイアスでアドバイスする人たちってなんだろうとか。

 

この二つは違うように見えて、どちらも「幸せとはあなたの思っているものではないし、あなたが思っているものは求めても無駄なんだよ」という脅しではないのかなと思っています。

 

で。

 

幸せってなんだろうと・・・。

 

「隣の芝は青く見える」もそうなんだけど・・・

 

あ・・・あ・・・

 

人は、自分に起きている「出来事」で幸か不幸かを判断するんだ!

 

これ。

 

悟ったようなことを言う人は「環境の幸せ」だけを言ってる。

「今置かれている環境を幸せだと思いましょう」って。

DV受けててもですか?

姑に毎日嫌味を言われてもですか?

ってことなんですよ。

 

どんなに資産があって、どんなに家族に恵まれていて、どんなに広い家に住んでいようが。「今起きている出来事」がひどいものであれば、それは幸せとは言えない。

 

環境が人を幸せにするとは限らないということ。

そこにあるのは「毎日幸せだと思える”出来事”で満たしたい」ということなんじゃないかなあ・・・・

 

子どもがいない人は子どもが欲しいだろうけど。

子どもがいることで「幸せだと感じられない出来事」も増えます。

お金持ちになっても「日々、仕事に追われて幸せだと思えない出来事の連続」であれば、幸福感は少ないでしょうし。

 

起きてから寝るまでの間、私たちが経験するその「出来事」の質が大事なんだろうなあと思うわけです。

 

だから、どんなに「あなたの環境は恵まれてるんだから」「あなたは幸せに気づいていないよ」と言われたって心に響かないし、反発しちゃう。

そりゃそうだよね、全然違う。アドバイスが的外れ。

 

なので。

私たちが目指すのは、「どういう出来事が起きても、幸せだと思えるメンタル」になるか「どんなメンタルでも幸せに思えるだけの出来事しか起きない自分になる」かどちらかです。そこに環境はほぼ関与しない。

 

私が、家族で出かけている姿を見て羨ましいと思うのは

「家族がいるという環境」がうらやましいのではなくて「幸せな出来事が起きているのではないか」という想像なんです。そこに、羨ましさを感じる。

 

不登校という「出来事」に対して、不幸と感じる人と別にそうでもない人と。

「子どもが不登校で家にいる」という環境が不幸なわけではない。

 

なんか、すごいことに気づいてしまった感があります~。

 

つまり、宗教的な修行というのは、起きてくる出来事に対してどう対処するかを教えてくれるものであって、幸せな出来事が降ってくる環境を整えてくれることではないんだろう。

 

引き寄せとか成功哲学ってのは、逆に、「幸せなことしか起きない自分」を目指してるよね。そして、環境ももれなくついてきます!的な。

だから、「出来事」に弱い。「不幸な出来事」は起きるはずがないことになってる。

 

「子どものことが心配で」という親がやってくる「出来事」を避けようとする。

んで「そういうあなたが問題だ」ということにして、自分のところに来た「出来事」をなかったことにするんだよ。そういうバイアスがかかってる気がします。

 

わたしは、小さい頃からあらゆることを観察してきたから、結婚してても、大家族でも、毎年家族で旅行してても、ペットがいても、大きな家でも、それが幸せに結びつかないことをよく知っています。

「持ち物」とか「環境」というのは、幸せに付随するものであって、絶対条件じゃない。どんなに演出しても、人の心はごまかせない。

 

だからね。ちょっと胸に手をあてて考えてみて。

「どういう出来事が幸せだと思えるんだろう」って。

 

たぶん、そこから。大切なのはそれかもよ!

 

今日の気づきでした!

 

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