すべてに理由を求める日本
Twitterを見ていると、なるほどと思う記事に出会い
そこから思考が広がって行くことが多い。
日本は困ってるから助けてくれる社会じゃないと感じてました。
— ハムちゃん (@djungarian86) 2018年6月26日
困ってる理由によって、助けるか助けないかを判断される。困ってるのは事実でも。
助けて・手伝ってと言ったとき、理由に関わらず手伝ってくれる人が増えますように。
そして私自身も困っている人がいたら、力になりたいと思います。 https://t.co/9hqwRgsY2t
それは、いちいち理由を尋ねられるけれど、結局助けてくれないものだ、ということだった。
今の日本はおかしい。
「病気になった」と言っても「日常の不摂生じゃないの」とすぐに言われたりする。
「大丈夫?」と心配する前に、「あなたの何がどうだったの?」と聞くことがあいさつ代わりになっている。
そして心配しないことを選ばれてしまう。
不登校にこれといった理由はない。
鬱になった理由だってわからない。
産後鬱だったのだろうと後で思ったけれど、3人産もうがならない人はならないのだから、理由が大好きな人にとっては「理由にならない」と思われるかもしれない。
そして、理由を聞いて納得しなければ助けない。
しかるべき理由がないので手助けできません、、というまるでお役所のような対応をする普通の人たちが増えたと思う。
自分のもとに助けを求める人が殺到して来たら「損」だと思うのだろう。
余裕がない、とも言うけれど。
だから、助けを求めることに躊躇がある。「そんなもの、いるの?」「何のため?」といちいち理由を聞かれるぐらいなら、助けを求めないほうがいいと思うのが普通であろう。
「そうなのね、すぐに準備するわ」とか「これ、いるでしょ」と持ってくるということができないのだ。
助けることに慣れていない国民。
なのに、巷では、ありがとうだの感謝だの、与えるだの言われてる。
損しないようにちまちま生きている人たちが、だよ?
笑える。
インドに行った人などは、何も言わなくても泊めてくれる場所があったという。
発達障害であろうが何であろうが、困った子供には手が差し伸べられる国だってある。
日本はどうして「助けたくない」国民性なんだろうか。
自分のことを優しいだの、思いやりがあるだのって言ってるけれど
日常で困ってる人をどれだけサポートしてるかと言えば
自分のことで精いっぱいだったり、クレームつけるだけになっていないだろうか。
まあ、家庭で女性が困っていても、助けない男性が普通の国だもんな。
「言ってくれればやるのに」というのは「理由があれば助けてやる」に近い。
主体的に動かないのはどちらも同じである。
恋人になるのに、いちいち理由を求める女性も多い。
「○○だから~」というのは、大ヒットしたアニメ映画でも出てきた。
いやいや、好きになったんだからそれでいいやんね。
理由なんていらないよ?
理由がないから、未来が見えないから、だから、人と出会わない、会っても親しくならない、愛情を振りまかない・・・そうやって小さく小さくまとまっていって、村社会のように「分かり合ってるものだけ」の暮らしになってく。
困っている人が目の前にいて、どうして手が出ないのだろう。
どうして言葉をかけないのだろう。
内省する前に、そこ、自分で見たほうがいいんじゃない?
私は、職場の知り合いで、たまたま同じ市民である人がいたので
仕事に復帰した日に訪問した。
きっと震災の話も通じない中にいらっしゃるだろうと思ったからだ。
案の定、とても喜んでくれた。愚痴も話してもらった。
大変だったことが上層部に通じないと嘆いていらした。
わたしは、体力では使い物にならないけれど、お金になるとかじゃなく
話を聞くことができる。
誰もが少しずつ、自分のできることを日々するだけでいいのに。
一緒にご飯食べようでもいいし、日用品のささやかなプレゼントでもいい。
見知らぬ人やあまり交流のない人を助けよう。
それが徳を積むということなのかもしれない。
助けてもらうのに理由はいらない。
助けるのに理由はいらない。
今日は子どもたちの前で、手遊びと絵本の読み聞かせをした。
大学生の時に少しやっていたぐらいで、うちの子に読み聞かせをしていただだけなので、ほぼ練習なしのぶっつけ本番&初体験だったのだが。
意外とできた。
大学生の時は緊張してどうにもこうにもコンプレックスの塊だった。
同じ団体には、子どもから笑いをかっさらう猛者ばかり。子どもの前に立っても、あがってしまって、声も詰まるし面白くないし。
その経験があったから、歌を習って舞台に立ってみたこともあった。
少しでも、あの頃のコンプレックスを克服しようとしていた。
なのに今はどうだろう。練習なしでできちゃった。
等身大の自分に近づいたからかもしれない。自分を飾ることもやめたし、人と比べることもやめた。評価されるためにやっているわけでもない。
だから、絵本を読み聞かせるのがただ楽しくて。
子ども達とやり取りしながら絵本のページをめくっている時の幸せを味わった。
手遊びも何とかなるものね。あの頃はめちゃくちゃ恥ずかしかったのにね。
今日も読んでくれてありがとう。
明日も素敵な一日になるよ!