自分を保つために
余震の不安もある中。
やっと家の片づけの目途がついた。
あとは、引っ越しの準備である。
被災したおかげで、思いがけず断捨離ができた。
必要なものとそうでないもの。
息子が「うちに、めっちゃ本あってんな」と言った。
いやほんとにね。半分処分になったけど、それでもいっぱい。
っていう話ではなくて。
日々気持ちが揺れる。
被災のショックから抜けるのにどれぐらいかかるのだろうと思う。
肉体を使う作業が終わると精神的なフォローが必要になる。
私は、これまでの経験から、自分に無理させないことと
日々自分への楽しみは決しておろそかにしないと決めている。
それが「自分を保つこと」だ。
若くないので、できることは限られている。
自分を労わることを優先させないと持久力が落ちていく。
年齢を重ねてよかったと思うのはそういう時だ。
倒れる前にフォローできる。
時折、私に強さを求める人がいて、それがまだ実家の癖が抜けていないということだと思うけれど、そこを突破したかった。
あなたと同じ、人間ですよ、わたしだってね、色々あるんだよって。
でも、強さを私に求める人は、逆に私を支配しに来ることがある。
それは、自分が人より弱いと思ってる時には、誰かの言う通りにすればいいと想っているから。
逆に、誰かが弱っていると、自分が上に立って言う通りにしてくれないと怒る。
人は。どんな時でも変わらなくて。どんな時でも支配されることもすることもない。
その時に強かろうが弱かろうが関係ない。
だって。状況は変わるから。
その自分の状況で、他人を下に見たり、上に見たりするのってバカみたいだなって思うんです。
自分や家族がどういう状況であろうが、自分は自分だし。
上も下もない。
ちょっと弱っているからって、下に見られていいわけない。
離婚直後にメル友で話した男性なんて「俺は離婚女性の弱さがわかる」と周囲に離婚女性をはべらせて相談に乗ることで自分を保ってたよ。
くだらなすぎてすぐ切ったけど(笑)
弱さ(状況がそうさせているだけで弱くないのにね)につけ込んで、「今ならこの人にアドバイスしてやれる」みたいなのってホント嫌だと私は思う。
自分が気持ちよくなるためのアドバイスって、すぐに伝わる。気持ち悪くなる。
だから、私がちょっとでも大丈夫そうなところを見せると、つまらなそうな顔になるし。「だったらもういいのね」って残念そうになる。
誰かの力になるということは、そういうことじゃない。
どんな状況でも同じ態度でいられることだと思う。
わたしは、不登校を異常だと思わないから、不登校児の親に対してアドバイスもしないし、こうしたら治るよとかも言わない。困っている話を聞くことと、「不登校そのものはおかしくないよ」と伝えるだけで、後は普通に知り合った大切な人として一緒にいるだけだ。
そのための不登校カフェだから。
たまたま子どもが不登校になって、そのせいで、勝手に弱者扱い?おかしな親扱い?されてるだけで、その人自身は生まれた時から何も変わらないよね。
そういうことが伝わればいいのだけれど。
23日(土)不登校カフェ開けます。
私を保つためにも!