風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

ひとりになること

人に会う仕事は楽しいです。

上司や同僚にちくちく言われたり

いらいらした感情をぶつけられる毎日を過ごすぐらいなら

お客さんとしゃべってる方がいい。

 

どっちも大変なことといいこと両方あるけどね。

 

自分のために何度も書くけれど

自分を卑下することで生きてきた半生だったので

「自分のためになること」ができなかったです。

成功しそうになるとやめて。

うまくいきそうになると止めて。

幸せはいつも他人に譲るもの、他人の幸せを見つけるものと。

 

人を喜ばせることだけが自分の評価でした。

 

そうするとね、他人がそばにいることだけで

自分のことがおろそかになるんです。

その人がどんなに私を愛してようが、わかってくれてようが。

私の脳が勝手に自分を卑下するように調整してくるんですよね。

 

だから、ひとりになりたかった。

 

自分を救うために。

 

私が本当に喜ぶために。

 

で。気づいたんですけど(。

「あなたはそのままではいけない」という人を呼び込んでたんです。

インナーチャイルドがどうだとか、癒されてないだとか言う人を。

それも自分を卑下するのにとても役に立ちました。

 

そうやって、ダメな自分を再生産し続けていたことが

今ではよくわかります。

 

どんなメソッドも「あなたは不完全である」が出発点です。

そして「これで良くなりました」というストーリーが作られます。

これが罠です。

 

自分を責めてきた人ほど、そういう罠に陥ります。

そして、スピジプシーやカウンセリングジプシーをしてしまいます。

それはそれでいい経験になるし

自分のことを言語化する練習にはなるんですけど

根本的に解決はない気がしています。

 

結局、自分を責める人に追いかけられる人生になる。

いつまでたっても、その人たちから見た「完成した自分」にはなれないから。

 

誰かの理想像を自分に当てはめて、それをゴールにしちゃいけないってのは

誰かと一緒に居たり、誰かの言葉に影響されている時には視えないモノです。

インナーチャイルドが癒されなければならない」

気功師が〇をくれるような体にならなきゃいけない」

ってね。

 

んなことないですよ。

 

みんな、どこか病みながら生きてるんです。

 

不完全さを愛し、認めることこそが生きるということじゃないのかな。

 

わたしは、ひとりになって、自分自身を大切に扱えるようになって

やっとそれがわかりました。

 

たとえ一週間の内5分でも、私としゃべって楽しいなあと思ってくれる人がいればいい。

私を指導しようとする人と関わるよりずっといい。

私と話をしたあとで「楽しかったよ!」と感想をくれる人とだけつながってれば、わたしはそれでいいです。

 

あとはひとりで、自分の大切な人を想う一人の時間があればいい。

 

誰にも急かされず、誰にも注視されず、ゆっくり自分のペースで生活できる喜びは

何にも代えがたいものです。

 

わたしはそれを、子ども達に手渡したつもりです。

子どもを、私を喜ばすためにそばに置くのは嫌だったから。

それはあなたたちの人生じゃないって。

たしかに、家族のイベントを考えるのは好きだった、何が好きで何をプレゼントしたら喜んでくれるかを考えるのも楽しかった。

だけど。私自身をほっとさせるほうがもっと大切だった。

 

今年はおせちもつくりません。

何十年ぶりだろうね(笑)

何しようかな。

 

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