本当にやりたいことはなんですか
今日の昼食は、ご飯とお新香、みそ汁、梅干し、きゅうり。
私の中で、死ぬ前に食べたい最強の組み合わせです。
あ~幸せ♡
「本当にやりたいこと」を聞かれるたびに困っていた。
最近では「やりたいこと探しより、行動しろよ」と言う人まで出てきたんだけど、私別にそこまで探してなかった。
やりたいことは、たいていやってきたつもりだし、
やれないことはやらなかった。
それだけで生きてきた。
だけど、5月のGW中に動けなくなって「あなたは、あなたを愛してください」「休んでください」と言われた時に、ふと「本当にやりたいことってなんだろう」と思ったんだ。
それからは、お風呂に浸かっている時や寝る前のちょっと思い出しては「???」となっていた。
昨日も一日寝ていた。
やっと寝込むことの罪悪感が減ってきた気がする。
「今日は寝る日」でいいのだと心も軽くだらだらと過ごすのは楽しい。
そんなことを繰り返していたら
思い出したんだよね。
「自立しなきゃ、お金稼がなきゃ」という思考に。
自立りたい、お金稼ぎたいじゃなくてね。必死で「そういう思考にならないと人間になれないんだよ」と思い込んでいたことに。
衝撃が走り、わたしは、自分自身の願いをいつの間にか全否定していたことに気がついた。
寝たい、休みたい、ゆっくりしたい、お金にならないことをしたい、くだらないことを考えたい、、、そういうことは全部無視したかったし、休む自分を許してなかった。
お金にならないことでも、不登校のことなら許してもらえるかな?みたいな意識。
私は自分が不完全で醜くて、幼くて、周りと合わせられない異端児に違いないという気持ちを抱えて生きてきた。
今の私は周りの年配の人たちよりも大人だし
いつの間にか「きれい」と言われるようになったし
なぜか好かれるし、「器用ですね」とか言われちゃうし
いやマジで、いつの間に昇格したんだろうと思ってる。
それなのに、まだ自分を否定してたのか、やりたいことをごまかしてたのかと
思った。
早生まれということもあり、体育や工作の時間はいつも苦痛だった。身体能力が同じ学年の子ども達に追いつかなくて、コンプレックスしかなかった。
だから、大人になって絵も描けるし、ダンスだってそこまで下手じゃないとわかってもなお、「できない自分」を抱えて生きている。
親との葛藤やらなんやかやを抜けて、自分の本質にたどりつこうと思った時
「このままの私ではダメだ」という縛りに気づいた。
だから、誰かの仕事を見て「これがやりたいのかな」と思ってみたり、「やりたいことがない」と思ったりしたのだろう。
わたし遊び足りないんだよ。はしゃぎ足りない。
無駄なことをいっぱいしてみたい。
誰のためでもなく、自分のために。
ブログを無駄なのに書き続けている理由もその辺にあるのだろうね。
今も、過去の自分の記事に、自分で励まされたりしている。
それでいいんだと思う。
みな、ありのままの自分すらかっこつけようとしている。
お金になること、人に自慢できることを「ありのままの自分」にしようとしてないか。
わたしはそうだったよ。
ぐーたらで、この社会とペースを合わせられなポンコツなこの自分を「ありのまま」と思いたくなくて、身体のワークをしたりカウンセリングを受けてきたんだもの。
手相を見てもらってから、なぜかカフェやファミレスで休憩している時に出る、掌の金粉。どこまで休憩すっきやねん!と自分で突っ込みを入れてたんだけど、ほんとにそうだった(笑)
魂が喜ぶと金粉が出るんだよって友達が教えてくれたからさ。いやいや、仕事している時に出ようよ、と思ってたんだよね。
素直に休めばいいのにってことです。はい。