癒してもらえる時がくるから
鬱病になってカウンセラーを探して
自分が日本で一番信頼できる機関のカウンセラーさんと
10年ぐらい電話でカウンセリングを受けた。
その中で、一番心に残っている言葉は
「親に満たされなかったのなら、息子さんに愛をもらったらいいんですよ」という一言。当時はまだ、みんな幼くてね。絶対に無理だと思ってた。
そして、その当時から「人に愛をもらうな、愛をもらうことを期待するな」という説が流れていて、それは呪いのように私に付き纏っていた。
だから、そのカウンセラーさんの言葉をずっと覚えていたの。
「子どもから愛をもらうと思ってもいいんだなあ」って。
でも、自分が「愛をもらうことはダメなこと」「愛は与えなければもらえない」みたいなのを固く信じていたから、よくわからなかった。
わたしは十分すぎるほど与えていたのに、もらうことを禁じていたんだよね。
そしてもらうならお金で欲しくてね。見えるものが一番確実でわかるから。
だからお金は与えられた。あちこちから援助が届いて、生活はなんとかできていた。
あれから十年以上の月日がたった。
今年の震災で、息子たちに愛をもらった。
与えた分、還ってきたな~ってやっと思えた。
それも一瞬だったけれどもw
わたしがわたしでいることだけにしようと決めたのは
鬱になりたての頃のこと。
ベランダにこでまりの花が満開で、その花を観ていたら聞こえた。
「こでまりの木にはこでまりしか咲かないよ」って。
花はそこにいるだけで魅力を放っている。
わたしもそうありたいと思った。
いちいち、必死で発信しなくても、見つけてくれた人に届けばいいと思った。
届けたいとは思わなかった。
今、少しずつ届き始めている。
そして、自ら求めることも覚えて、「管理職になるんだ」と決めてから見つけたこの職場では、ありのまま、無理しないで仕事をするだけで、成果を出している。
自分で宣伝すればするほどダメになっていったこともあった。無理してたなあと思う。
小手先で宣伝することを教えてくれる人はいたけれど
「そうじゃなくって」と思ってた。
今の仕事のように、ただここにいるだけで流れを変えれたら嬉しいなあって。
子どもから愛と癒しをもらえる日が来たように
今少しずつ愛と癒しが届き始めている。
跳び箱を一度で飛べる人もいるけれど、私のように何度も失敗て怪我しないと飛べないこともある。
人との距離だって、一度で掴めないから、失敗して学んでいる。
痛い目に遭うからってそれは、わたしが癒されてないことの証明ではなくて、練習の途中だからだ。
愛と癒しを受け取ることもまた、練習に過ぎない。
今、わくわくしながら人と出会っている。少しずつ隠していた自分を出している。
明らかに以前と違う人が寄ってくる。面白すぎる。
そしてわたしは、明らかに理想をあげた↑www
理想を下げないと結婚なんてできないって世間では言われるけど
逆だろ、理想を貫かないからDVまみれなんじゃん。
わたしに見合わない人はお断り。
厳選された人と遊びたい。
うん、そういう生き方になる。
そして、癒してもらえる時がくるから。癒してもらいながら、理想の暮らしに近づけばいい。偽の癒しでも癒しは癒し。ないよりはまし。
いくらでも癒してもらいな!と思う。夫にも子どもにも求めればいい。与えられなくてもいいんだよ。与えてるとかなんとか意識してる時点で与えてるんだよ、とわたしは思うよ。
私の作る場は、ほぼ言いっぱなし状態なんだけど、みんな自分の生活を歩いてる。そして、明らかに自分のための生き方にシフトしている。「こうすればいいのに」と何度も思ったけれど、言わなかったけれど。見守ってたら自分で何とかしてはる。この私のぐだぐだ状態から何かを感じてくださっているのかもしれないし、「もっとしっかりしなきゃ」と反面教師にしてくださってるのかもしれない。
まあ、そこでも救われること救われること。離婚と地震を経て、わたしはすっかり助けられる側にシフトした。甘えておりますよ。みなさん、気にかけてくださっててありがたいです。つぎになにをしでかすんだろうとハラハラして私を見守ってくださるようになりました。不思議だね。
お酒と薬に癒してもらってた時よりずっと生きてる気がする。