模様替え
急に、ベッドの位置を変えたくなった。
私の模様替えはいつもこんな感じ。
空を見ながら寝転べるようになって
また、家から出る理由がなくなったかもしれない(笑)
いつまでも空を眺めていられる。
変わり続ける雲の流れを見ているだけでいい。
ここから出たい。
まるでラプンツェルのように、私はずっと空を見ていた。
あの時の私は、籠の中の鳥だった。
息子たちが学校に行かない間
それこそいろんな本を読んだ。
学校に行かなくても、お金持ちになった人もいれば
大学院まで行った人もいる。
だけど、ひねくれ者のわたしは考える。
その人たちの生い立ちは??と。
有名人のスーツを探る番組がNHKでやっている。
それを見て、私も友人も同じことを思っていた。
「なんやかんや言って、ルーツがすごいよね」って。
不登校でも成功したと、本にまでなっている人たちも私はそうだと思った。
両親は何も教えてくれてなくても、祖父が立派な人で、大切なことを教えてくれたとか、まるで一人で成功したかのように装っている人の実家が、田舎の大きな地主ぐらいの家だったりとか、不思議な力で成功した人の祖母がやはり霊能者だったり、不登校でも大学行ってる人の祖父がとても有名な国の官僚だったとか。
そんな話ばかりなのだった。
私は料理が好きで料理人の家系も見てしまうけれど
まあ、ほぼ、戦争中もいいもの食べてる人でね。
ってことは、その階級の子どもや孫なのですね。
ああ、そういうこと・・・
誰もが自分一人の努力で何とかなったわけではないです。
私もそうです。
たしかに、背景や生い立ちだけで生き残れるわけじゃないかもしれないけれど、遺伝子を含めた何かが、その人を「不登校」「貧困」から脱出させたのは事実です。
だから、単純に「不登校でも大丈夫」だの「貧困はその人の努力が足りないから」だの
言えないと、私は思っています。
その人自身の力ももちろんあります。
でもその「力」の源は、なんだろうねっていう話。
小さい頃に栄養たっぷりで育ったかもしれない。
本に囲まれて育ったかもしれない。
そして、大人になって困った時に、助けてくれる親がいたのかもしれない。
小さい頃から商売する親を見ていれば、商売のノウハウは染みついていて、それをただやればよかったのかもしれない。
誰もゼロからの出発ではないのです。
だからこそ、どんな人であれ、血脈や能力に左右されず
幸せになれる社会をわたしは望むのです。
あなたの人生はあなただけのもので、誰の参考にもならない。
成功例が役に立つことなんてほとんどない。
それよりも、社会の仕組みを整えて、ある程度のどころまでは、学校に行けなくても大丈夫なようにしたい。
それが、文明であるし、脳を授かった人間が考えることなんじゃないかなと私は思います。
ひとりひとりの内面をどうこうするのも大切だけど
それだけで解決でき得る問題だけなのだったら
宗教が脈々と続いている現在には、全員が幸せになってなきゃおかしいわけで。
家が汚かろうが、性格が曲がっていようが
同じように暮らしていけなきゃおかしいんです。誰もが。
息子たちが不登校にならなければ
わたしは気づけなかったと思う。
「不登校の子どもって可能性あるんだよね」な~んてお気楽に言ってしまう理想主義者に陥っていたと思う。
そして、私は鬱病から、今は薬を完全に断って生活できているんですけど
それは私が優しいからでもないし、ロハスな人だからでもないし、特別だからでもないです。自分の好きなようにしたらこうなっただけ。
誰かに教えるつもりも真似してもらうつもりもないし、「鬱病から回復できるよ!」とは絶対に言えない。医者でもないのに。
当事者だったからって、今当事者の人たちに当てはまる全部を持ってるわけじゃない。
だからね、よく考えて。相手をよく見て。
「私にできたんだから、あなたにもできる」と安易に言う人をよく観察して。
どういう環境で、どういう条件でできたのかを。
わたしは、どういう環境でも、どういう条件でも、誰もが幸せに生きる世界を見たい。