風に吹かれて
コブクロライブに行ってきました。
はしゃぎすぎて腕が痛いです(^-^;
そして、今日は8時ぐらいに一度寝ましたよ。
体力つけないとライブに行くの大変!
いっぱい泣いていっぱい笑って声出して体動かして。
あ、デートとおんなじや(爆
デートしなくてもライブ行けたらそこそこ発散できるということがわかりました(マジ(゜-゜)新しい発見だ・・・でもなんか違う・・・
私が大好きな「風に吹かれて」を歌ってくれて
花道の近くで、めっちゃ生で見れたし
コブクロの歌声が進化してるし
隣の人と手を繋いで、あのほら、WE ARE THE WORLDみたいな?
心も魂も喜んだ、身体だけがちょっと悲鳴あげた、ライブでございました。
それでね。
書きたいネタも溜まっています。
ひとつは、不登校カフェを振り返って、のこと。
今の仕事もそうなのですが、わたしは、ものすごくはっきり境界線を引きます。
そして、助けを求められない限り手を出さないことにしています。
ね、そりゃ人は来ないわ。
通常の不登校支援のように「助けてあげます」「何とか関わりましょう」なんてやらないもの。お茶して日頃のうっぷんでも晴らしませんか?ってやってただけ。
そういうの、不登校の親に不人気(笑)
仕事でも「私を助けてよ」というおばさまたちがいるんですよ。
私より年配だったり、年下もいますけど、依存できる人に依存して、仕事だからこれはやってくださいねと言い放ったらキレてくる。
常に誰かにしてもらうことが習い性になってる。
わたしは手伝わないから嫌われる。(あ、自分から仕事を探してやってくれる人にはめっちゃ手伝いますw)それもレッスンですけど。
わたしは、不登校って、そもそも個人だけで解決できないと思ってるのね。
そういう問題じゃないと。
学校へ行けばいいのか?それで解決なのか?と、学校へ行っても、大人になって学校時代の傷で悩んでいる人とても多い。
だから、「学校へ行ったらいいよね」という話はしないし、「不登校を解決しませんか」という話もしない。
それはその家庭の、その親の、その子の、生き方そのものを問うことだから。
学校がセイフティネットになっている家庭なら、子どもは学校で守られたほうがいいし、学校が危険地帯なら、戦場なら、逃げたほうがいい。
不登校というものを個人の内面の問題にすり替えるのはもうやめてほしいの。
だから、自分を変えれば不登校治りますというスタンスの人とも合わない。
他人の内面に踏み込んで、「私の言うことを聞けば子どもが学校に行きますよ」という依存的なアプローチするぐらいなら、不登校支援なんてやめたほうがいいと思っています。
誰もかわいそうじゃないし、だけど日常の不便はあるからね。制度外に置かれるわけだから。その支援は必要。
「かわいそう支援」じゃなくて「現実支援」が大事。
不登校を悩みだと思っていない私には、悩みを解決したい人は来ない。
私の元には、とても強靭な精神の人しか訪れなくて
「もう心中考えちゃう」と泣きながら電話かけてきた人が
今じゃ他人の子どもの心配をしてはる。
わたしは、なにひとつしてなくて(私の言葉で立ち直られました!不思議な力を使いました!とか言いたいけどさw)、私の場に来てもらっただけです。
ほんとに強いお母さんでした。尊敬しかないです。素敵だった。
私自身が「かわいそうな人」を欲していないので、会として成立せず(笑)
私もそろそろ興味が別の所に移ってきたので、やめることにしたということです。
口先で慰めても、知識でアドバイスしてもダメなんで。そういう場には絶対にしたくなかった。それは達成されました。
風に吹かれて、次はどこへ行くのやら。
そういえば、「ここはなんだかいい場所ですね」と言われたことは何度かあり、「暖かい場にする」という技は持ってるようです。
「なんだか」というのがいいでしょ?奇跡が起きます!じゃなくて。
そういう「何かわからないけどほっこりする」みたいな空気をいっぱい作っていきたい。心の中を邪魔されないからいいんだと思う、相手から言い出さない限り余計なことは聞かないし、余計なこともしないし。
それがどんどん感染して、ほっこり人口が増えたら最高。
甘えさせないけど、受け止める場所。
口出さないけど、話は聞く場所。
そういうことが必要なんだと私だけが思ってる。
子どもに口出さない親が珍しいのは、口を出して誘導して「こうさせる」がみんな好きなんだよね。そうされるのも。誰かに誘導されたくて、いちいち口出されたくて、褒められたくて必死。
だらだらと長い文章を書いていますが
最後にこれだけ。
私がたくさんの困難に襲われた時、何か掴むものが欲しくてあちこち相談しました。
ほとんどの人たちが「あなたのここが問題」だとか、解決しようしようとしてきたのだけど、ある人が「大丈夫です。そのトラブルは、みかみさんが悪いのではありません。これからの人生に必要だから起きたことです。間違っていません」と言い切ってくれました。
私はその言葉が欲しかったんだなと今も思います。
解決なんて自分でするんですよ。転んでも痛い目に遭っても。
けれど、それが「あなたの性格が歪んでいるせい」だとか「あなたの生き方が間違ってるから事件が起きるんだ」みたいな解決脳の占い師って違うと思った。
わたしが立ち直ろうとしてる時に必要なのは「あなたは間違っていない」という言葉でこの痛い思いも「大丈夫なんだ、ただ痛いだけで問題ないんだ」と思ったら、ほんとに大丈夫になりました。
それまでも「人はどんなことがあっても大丈夫」が信条で、だから息子たちも学校に行かなくても平気でしたが(放置はしてない)、それをもっともっと拡大することができました。
「大丈夫じゃないよね」と近づいてくる人がいたり、私も面白そうだからとそっちに近づいていったりしましたが。
ね。大丈夫なんだよ。風に吹かれて生きていくんよ。