わかりにくい母親と私の話
台風で被害が出ませんよう。
どうか。
さて。
萩尾望都さんのエッセイを読んで閃いたことがあった。
「イグアナの娘」を読んでわかるように、母親との確執がエッセイから読み取ることができた。
しかし、私の場合とは全く違う。
なんだこの違和感は・・・と思った瞬間気が付いたのだ。
虐待を受けた、暴力や暴言があった、母が認めてくれなかった
・・・
これらの傷を持っている人は多いが、これらはみな、「母と娘は別人である」設定である。
母から暴力や暴言を受ける時、相手と自分が「別々である」ということが認識できる。
だから、離れた後で表現者として自立できたり、世の中で成功することもできるんだ。
母親は他者だからだ。
母親が忙しくて構ってくれなかった人も同じだ。
「自分の表現」に浸る「隙」があるのだ。
幼い頃から「母と自分は別々」と思えている人たちは、たとえ虐待を受けていようが、世間と折り合いをつけて生きているように私には見えてしまう。
「自分は被害者で、母が加害者。母の行動は、私には理解できない」と言っていればよい。
私の母は、ちょっと違った。
「あなたと私は同じよね」という呪いをかけたのだ。
私の心を徹底的に自分と同化しようと試みた。
だから、父が亡くなって遺産相続の話が揉めた時、
私が自己主張するのを全く受け入れなかった。
受け入れられなかったのだろう。
一度会って話した時、「ぽかん」とした顔をしていた。
「お前は酷いやつだ」という憎しみではなくて。「なんでわからないの?」「どうして私と同じ考えじゃないの?」という顔だった。
母は、自分が手を下さなくても、娘たちは自分の味方だと信じ切っていた。
怒鳴って暴力をふるって支配しなくても、「弱い母を守ってくれる子どもたち」という筋書きを手放さなかった。
わたしは、心を支配された。
わたしの心の中にはいつも母がいた。
いつも聞こえていた母の声が消えたのは、30歳を過ぎてからである。
自分自身に浸る暇はなかった。
私は、私だけのものじゃない、という意識が常にあった。
小学生の頃は、詩を書いていたし、物語のようなものを書き始めていた。
だけど、大人になるに従ってできなくなっていった。
かまってちゃん=母親が許さないのだから。
結婚してから夫がかまってちゃんでしんどいと言う人を見かけるけど
私は幼少期からかまってちゃんの面倒を見てきた。
私が大人に近づくと、母はますます私の未来を自分の描く未来に重ね始めた。
そして、私が母の言うなりにならなかった18歳以降、私を見るたびに罪悪感を植え付けるような態度に出た。「私は可哀想な母親だ」という「顔」をするようになったのだ。
私が、自分だけの秘密を持ちたいのも、自分のプライベートを探られるのが嫌なのも
そのせいだって知ってる。
なんでもかんでも分かち合わなきゃ嫌がる母親がいたのが原因だ。
友達のことも全部知ろうとしたし、私が友達と親しくなるのを嫌がった。
母親は、私を取り込もうとした。
母親の心の闇まで私は飲み込まされた。
今も、自分が本当に何を望んでいるのかわからなくなる時がある。
「わたし」が喜んでいるのか、「私の中に入り込んだ母の意識」が喜んでいるのか。
「いいこと」をしようとすると、「わたし」は自分に反発してしまう。
母の意識に支配されたくないと自動的に思ってしまう。
もう、認めてもらうの認めてもらえないのの話ではない。
幼少期に母と一体になってしまった心を、自分の心だけを取り戻すことができるのかどうかすら、私にはわからない。
わたしは、人と話すのが好きだし得意だし、教えることも決して苦手ではない。
けれど、母から「小学校の先生になるのよね」と言われてきたことへの反発と憎しみから、どうしても教師になることができなかった。
「先生っぽい」と言われるたびに、心の中が削られた青春時代の記憶さえ蘇る。
今の私は魅力的な教師になれると思うんだけど(笑)
こういういびつなトラウマを理解してくれる人は少ない。
目に見える虐待から生還した人たちが世間で有名になる反面、私のようなトラウマを持った人は、生きづらさばかりが募って何もできなくなっていく。
「本当の私はどこにあるのか」を探ろうとするだけでエネルギーを消耗する。
親と喧嘩をするだけでいいなんて楽だなと思う程度には病んでいる。
実物を殺しても内なる母は死んでくれないから。
うん、やっと吐き出せた気がする。
ちょっと荒療治を試みようかな。これ以上、自分で自分を攻撃するのを止めるために。
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#生きづらさ