情報の商品化ってなに?
とてもいいお天気です。
まるで夏ですね。
今日はやっと衣替えをします。
もう冬物、しまって大丈夫だよね?(笑)
うちは、山の上で少々冷えるので、世間が夏日でも、朝晩は寒いことがありました。
油断して体を冷やしたこともあるので・・・。
さて。
私が常々不思議に思っていることがあります。
「わたしは、こんなにお金をかけて学んだのだから、お金を取って当たり前だ」ということについてです。
文章を書いたりイラストを描いたりするのは、無料でやりがちだから、たしかに自分でそう言い聞かせて相手と交渉していくのは大事かもしれません。
ただね、その理論に基づいて生きていると
膨大なお金を世界に支払って生きて行かなきゃならないんじゃないですか?ということに気づいているでしょうか。
私たちが当たり前にTwitterで読んでいる言葉。
今では、大学教授や研究者の方、それこそ、会いに行かなければ、親しくならなければ話せないような方々が、普通に呟いておられます。
その一言に、どれだけの価値が存在するか、わかっているのかなと。
人は、学んだことが言葉になります。
授業料を払って得た情報だけで生きているわけじゃない。
私も、それこそ、いくらかかったかわからない本を読んで
図書館でも時間を使って読んで
それが血肉となっているからこそ、毎日ブログが書けるわけです。
しかし、そのお金と時間を換算する意味を感じられないので、無料でブログをアップしています。
新聞だって、安価で知識の集大成を読んでいることになりますよね。
ひとつひとつの記事を書いている記者の方の膨大な資料の読み込み。
それに見合ったお給料をもらっているとは思えないですし、読んでいる人が、それに対して見合ったお金を払っているとも思えないです。
お金を回収するために学んでいるんですか?って話です。
そんな学びなら捨ててもいいと思います(暴論w)。
学んだことはまわりまわって、自分のためになります。
自分を救ってくれます。
たとえ他人がお金を払ってくれなくてもです。
それがわからないのなら、何を学んでお金を得ようとも
そのお金で何すんの?って話です。
私が、息子たちの不登校の経験を話すと
商売魂がたくましい人は、すぐに「それ、お金になるよ」と言います。
わたしのこの経験は、お金に換えるようなものじゃないです。
今は、はっきりそう言います。
昔は自分に自信がなかったから、商品化できる経験なのに私には何もできない・・・と自分を責めていました。商売上手な人はいいな~と思ってました。
今は「だってお金に換えたくないよ、わたしは。」です。それが私の本音です。
メルカリで不要品を売るのは楽しいし
できることなら、私が「これ最高」と思うものを紹介して売れたらいいなと
思っています。
それは、買ってもらうこと、選んでもらうことのウキウキやワクワク感が間違いなくあるって思えるし、売ってる私も楽しくなると思えるからです。
子ども達の不登校の経験や不登校の子供の支え方を売ったって楽しくないじゃん。
私は、自分が心地よい生き方をしたい。
心の中に風が吹くようなさわやかな気持ちで生きていきたい。
だから、お金を作るにしても、違うやり方を模索したいです。
それをこだわりだとか、ブロックだとか簡単にレッテル貼る人もいるけど
気持ちよく生きたくない?って逆に質問したいです。
わたしは、無料の図書館に、無料の情報に、買わなかったセレクトショップの商品に、祖母の家にあった美術全集に、感性を育ててもらいました。
学ばせてもらいました。
いいものはみんなで分け合いたいです。
自分が膨大な無料のものに育ててもらった恩返しは
何かを創ることだと思います。
それが誰かの喜びになるようなものを。
そこに対価が生じて、お互いが嬉しくなればそれが一番です。
地震で一夜にして何もかもを失った人のことを思うと
コロナで、これまで積み上げてきたものを辞めざるを得なかった人もいると思うと
「私の話は高いよ」と言ってる人って逆に幸せだなと思います。
まだ、人生の本質に辿り着いていない分だけ(゚∀゚)
正直に「お金欲しいです」って言うだけでよくない?支援してくださいとか。←結論それだけだった。