男も強くなりや
遊びすぎてダウンしてしまう。
あほやなあと思いながらも
こんなことをしてこなかった青春を思う。
アラフィフになると、男から「女は強いなあ」という言葉をいただく。
離婚経験者が増えるこの年齢に、男は弱さを自覚するらしい。
私が離婚した当時は「離婚した女はかわいそう」と言われたものだが
それも、これも、同じ男の意識から出てくる言葉だと思った。
女に依存していれば楽勝な人生が待っている。
仕事だけしていればいいし、嫌なことがあれば反抗して見せてうっぷんを晴らせばいい。
気持ちも現実も、女に嫌な部分を全部やってもらえる人生ほど楽なことはない。
だから、弱くなるのだ。
離婚しただけで慌てる。
これまで依存してきた女がいなくなって、気持ちを立て直せない。
離婚しても、嫁と子どもの心配をする男性はけっこういる。
世話を続けている男性を私は何人も知っている。
女性がさっさと元夫との関係を断ち切るのとは対照的だ。
気持ちもだらだらと引きずってるし
まったく心機一転しないやつら(笑)
それはそれでかわいいと思うことも可能だけれど
そこまでして、女性に心を依存してしまうものかと愕然とする。
女が強いのは、決してもとからではない。
私も、そりゃできれば、男に守ってもらいたいと思うほどの体力のなさである。
気は弱いし、威勢のいいおばちゃん連中には混じれる気もしない。
だからこそ、自分の心を見つめ直したり、どうすれば依存せずに生きていけるかを研究したり、身体を労わる方法を探したりして生きてきた。
弱いからこそ、強くなるより生きていけるような工夫をしてきた。
社会が女を守ってくれないから。
「男は弱いから」という言い訳をしている間に、できることはたくさんある。
いざとなったら女に頼ればいいと思ってるから、いつまでも弱いのだろう。
強くなればいいのに。
強くなりたいと願って頑張ればいいのに。
身体が健康な人は、健康が損なわれた時、どうしていいかわからないのだろうし
心が強いと思っていた人は、一度折れると回復するのが大変なのかもしれない。
私が、自然療法やカウンセリングに興味を持っているのは
医者に行けない体調になっても生きていけるように、だし
容姿や媚びることで男をゲットできない自覚があるから
自分で生きていけるような心の在り方を模索してきたのだ。
お金も他人もいつでも手に入ると思っている人たちとは、恐怖の在り方が違う。
生きていくことそのものが怖かった私は
どうすれば身を守れるのか、どうすればひとりで生きていけるのかを常に考えていた気がする。
自分自身を振り返ることなく、常に外部の責任にして生きてる男たちは
一生わからないことがあるのだろうと思う。
どうして離婚されたんだろう、どうして子どもに会わせてもらえないんだろうって。
心の中で、恨みながら生きていくのって大変だろうな。
一方で、「もう結婚はこりごり、自由な今が好き」と言う男たちも存在する。
何が正解かなんてわからないけれど
女は強い、男は弱い、という勝手な思い込みに自分を縛り付けるのは得策ではないと思うよ。
今の私は、一人の男性に、お金も心も世話も身体も性も全部を委ねることなんて
不可能だと思っている。
すべてに合致する男はいないし、だからってどこかに妥協してまで一緒になる必要はない気がする。
どこかに不満を持ってしまい、それだけで相手を見てしまうようになるぐらいなら
本当の自分の満足がどこにあるかを知ったほうがいい。
自分が満足する到達点を知れば、おのずとどうすればいいかわかるだろう。
「なんとなく不満」というのは心を蝕んでいくよ。
さて。いつになったら男は、女に依存しないで生きていくことを選べるようになるのだろう。