風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

罠にはまらない

おはようございます。

お久しぶりです。

ブログに書いてみようかと思うくらいの気づきがありました。

 

「これでいいのだ」

以上です!(笑)

 

昨年春に一人暮らしを開始してから

様々な心の変化がありました。

ひとつひとつを見ていくと

それを「問題」だと捉えることもできます。

 

だけど、そのすべてが、私の人生にとってとても必要なことだったとわかったのです。

 

自分の生きづらさや問題と向き合いたかった私には

周囲の雑音は邪魔でした。

常に周囲を気にしてしまう癖のある私は、ひとりになる必要がありました。

それがわかっていたからひとりになりました。

 

だから、問題が出てきて当たり前だったのです。

周囲に人がいることでごまかされてきたあれこれが顕実化した、ということです。

 

立ち現れた問題たちが私を苦しくさせたけれど

それまでに培ってきたもので、なんとか生き延びることができました。

いや。まだまだ序章なのかもしれません。

 

でも、面白いのです。

 

自分を育て直すこと、ありのままの自分を受け入れようとしていることが。

 

 

実は昨日、さすがにひとりで対処するのも限界かなと思って

カウンセリングを予約して行ったみました。

一通り話を聞いてもらいました。

案の定、「私が今一番感じている問題点やつらさ」に焦点が当たろうとしたその時

私の口から「もう変えたくないんです。ありのままの自分を受け折れたいんです」という言葉が出てきました。

 

自分の耳で自分の言葉を聞いた時

「そうだったの?やっぱりそうだったのね!」という

なんとも言えない安堵感が広がりました。

 

私の基本はここにある。

「上昇しなければ」「良くならなければ」「良くしなければ」「解決しなければ」

という「何か」からの解放。

 

私の目指すものは、私が一番知っていて、自分もそうありたいのだということが

はっきりした瞬間でした。

 

自分の「このまま」で生きていきたい。その上で、やりたいことを成功させたいのです。

 

変えられたくないのです。私のどんな部分をも。

変化していいと許可するのは自分だけなのです。

 

一人暮らしになって一番困ったことは

自分自身のわがままさでした。

私は、自分の感覚がすべてなので。誰にも合わせる必要がない場合

とことんマイペースな生活をしてしまいます。

それこそ、引きこもり状態にもなります。

 

こんなに引きこもりにぴったりな性格だったのね!ということを知ったのが収穫です。

 

だけど、そこから一歩進んで、今は「心と体の健康のために、生活を整えたいなあ」と自然に思えるようになってきました。

とことん我儘を貫けたおかげです。

誰かに「そんな生活ではだめだろう」と言われてたら、もっと引きこもりたくなったかもしれません。

 

っていうか、私の心の中には、「そんな生活ではだめだろう」という他人が住んでいて、そいつがたまに私にお説教をかましてくるのが、とても苦痛でした。

 

「自分が自分の味方でいる」ためには、心の中にいる他人より、「もうちょっとわがまましたい」と言う声を優先する必要がありました。

すると、疲れは必要に応じて消えていきますし、どうして身体が動かないほど無理しちゃったんだろうと振り返ることもできますよね。

 

「こうしたら楽になりますよ」「あなたのここができていないから辛いんですよ」

という「解決の罠」にはまらないように生きること。

 

家族と一緒にいる時の寂しさとひとりの寂しさの違いとか

これが「つらい」ってことなんだな、とか

人を求める気持ちとか、自分の弱さとか、加齢で弱っていくことへの恐怖とか

そのひとつひとつの心を味わっていくことで

ようやく私は、自分自身を生きる人生を始めているのだと実感しています。

 

関わってくれる人のありがたみも

常に誰かの世話に追われている時にはそこまで感じられませんでした。

頻度がどうであれ、自分の人生とリンクしてくれる人との関わりを

楽しめるようになったのは、とても大きな収穫です。

縛りあわない関係性がどれだけ豊かなものになるか。

 

結婚しない人も増えていくでしょうし

会社勤めが当たり前ではなくなるかもしれない。

そんな時代の悩みに

寄り添っていくために

 

私の今の経験は必要だと感じています。

 

解決しないけど、寄り添っていく人として

私はここにいるよ、と。

 

私の師匠は、本の中の河合隼雄先生と斎藤学先生です。

決して目の前の人を「治す対象」とせず

「人」として対峙することを教えてくれています。

私はこのおふたりの思想に救われてきました。

決してご本人に合わなくても、そういうことがあるのが

本当の意味でのスピリチュアルな経験なんじゃないかな。

と、思ったり。

 

そういう意味で、愛はそこらじゅうに溢れているのです。

 

肉体の触れ合いだけじゃない、なにか。

その「なにか」があれば大丈夫な気がして。

今日もよき一日を。