護る
今日は暑いらしいのですが
私の家は山の上のほうなので、とても涼しい風が吹いています。
居心地いいです。
避暑に来てね(#^^#)
今日もゆっくりしているので、SNSを眺めていると
「ひどい目に遭ってきた女性が、剣術を必死で学びに来た話」(ざっくり)があがっていました。
それを読んで、自分のことが腑に落ちました。
虐待や他人からの暴力に晒されてきた場合
我慢する人になるか、同じように我慢を強いて憂さを晴らす人になるか、反撃の力をつける人になるか、個性によって変わるんだろうと思います。
それでね、反撃する人に対して「やりすぎ」「防衛しなくていいことに気づいて」みたいなことをしたり顔で言う人が出てくるわけです。
私も、身体的暴力を受けていたら、反撃する力をつける人になる人だろうと思うのです。幸い、それはなかったけれど、それぐらい、負けず嫌いだし、戦いたいと思うから。
で。私の場合、「言葉で反撃する力をつける」という方向に向かいました。
言葉で痛めつけられてきたから。
言葉でやり返すしかないと思っていました。
自分を守るために。
言葉を自由に操れるようになることで、相手の弱点を叩きのめすしか、黙らせる方法はないのだと思ってた、というか、それぐらいの痛手を負っていたということです。
痴漢を捕まえて、痴漢が殴ってきたから殴り返した、という勇ましい話があって
そっか、言葉で被害に遭っても、反撃しても、被害に遭った証拠がないから私がいつも加害者にされるんだなとも感じたことがありました。
自分自身が、言葉による防御をしていたことや、常に言葉の暴力に晒されてしまう戦場で戦っているような錯覚の中で生きてきたことに気づけたことは、今日の大きな収穫です。
それにしても、どうして素直にそう思えたかというと。
それは、相手に反撃できるようにと武術を学んだ彼女に対して、師匠であるその人の視線がとても優しかったから。
彼女の奥底にあるものを感じ取って、でも、否定も批判もせず、ただ「そうなのか」と深く受け止めたその師匠である人のすばらしさに胸を打たれたからです。
裁かず、教えて、去っていくのを眺めたというその一連の流れを読んだ時、自分の中にある「反撃しなきゃやられる」という幻想が素直に顔を出してくれたのでしょう。
武力に対して武力で立ち向かうのはどうかという人がいるけれど
そこまでの恐怖を感じたことのない幸せな人が言ってるんだろうなと私は思ってしまうし、我慢してやり過ごすタイプの人が、反撃せずにはいられない人を理解できないからなのかしらと想像してみるしかありません。
武術をやっている人は、「これを使えば人を殺めてしまう自覚」があるからこそ、やられっぱなしだった女性に宿ったものについて、大きな視点で見ることができたのではないだろうかと思うのです。
もしこれが普通の人だったら「あなたが心の中にある戦いを終わらせないと」みたいな説教で終わっただろうし、そんなことしたって、彼女を止めることなどできなかったでしょうね。
私も同じだから。
自分が受けた傷に対して、相手がどこまで理解してくれるか(同情じゃなく)によって変わるのだと思うから。
ちょうど二年ほど、周囲からあり得ないほどの攻撃に遭い始めて、私は反撃できる自分に気づいたり、仲間の存在に気付けたりしました。
けれど、攻撃は終わらず。
やられっぱなしで泣いていた頃の私は卒業したけれど、攻撃の度合いはどんどん酷くなっていきました。
まるで、敵がどんどん強くなるRPGのようで、自分の攻撃力をあげないと対処できないように感じていたのがちょうど年末ぐらいまで。
私は思うのです。
自分の中の戦争を終わらせたところで、言葉の暴力を使っている人は消えない。
だけど、その人も戦争の中にいるのだから、相手の戦場に入る必要はないかもしれないと。
危険な目に遭ったことのない人や、遭っても守ってくれる人がいたり、ひとりで戦う必要のない場合、戦わざるを得ない心境の人の気持ちを逆なでするようなことを平気で言いますね。
強くなりたい、強くなってひとりでも生きていかなきゃいけない、攻撃力も防御力もMaxでないと安心できない。
この恐れを手放すことができる時、それは本当に心から「わたしはもう大丈夫」と思える時だと思うし、安心して生きていける環境に辿り着いた時でもあると思う。
傷が生々しい時に、それは無理なのだ。かさぶたになってもなお、痛い。
その痛みに寄り添ってくれるような文章に出会った時、わたしは癒される気がします。
パートナーができた、仲が良くなった、お金が入ってきた・・・
いちいち、そういうことを書かなければ幸せを見せつけられないと思っている女性たちが増えていて、ますます武器のない戦争状態が激しくなっているようにも思えるのですが。
だからこそ、表面上の日常がどうあれ、心を語る場を作ってきたのだなあと思います。
それが私自身を癒す場でもあったし。
自分が作ったそういう場をやめて、これからどこに行くのかわからないけれど
戦士たちを慰めるようなところかもしれない(岩崎宏美の歌にそういうの、あったね)気がしているのです。
平和に見えるけど、戦争を生きてる。
武器を棄てろと迫ってくる人は、丸裸になったその人を守らない。だから、そんな正論を言う人のことなど聞けない。
わたしは、蹴散らしていく。そういう腐ったところを全部。それがもう、護る必要のない自分の使い道。