それで?を心の中でつぶやいてみよう
しあわせ、ということについて何十年彷徨い続けてきただろうか。
すんなりと手に入れた人、幸せになりたいと願っている人
この瞬間もそれぞれだろう。
お前なんか幸せにならない、という呪いをかけられた私は
「じゃあ幸せってなんなの?」を問い続けて生きてきた。
誰もが「やりたいことをやりなよ」と言った。
やりたいことは山ほどやってきた。
それでも「これ」というものにぶち当たらなかった。
あなたはこうだから幸せになれない、というアドバイスなら耳にタコができるほど聞いた。
幸せになれない理由を探すほうが簡単だからだ。
わたしはどれも受け付けなかった。
だから、生意気だと思われて叩かれた。
しがらみが余計だった。
お坊さんのように、ひとりになって自分を知りたいと思った。
だから、離婚して子どもも手放し、実家の縁も遠くにやってしまった。
そうして生きているうちに、やっと見えてきたものがあり
後半の人生は、「それ」によって私は進んでいくのだと気づいた。
私にアドバイスしようとしてくれた人たちは
悪気があったわけでもないし、その人の価値観に沿った話をしてくれただけで
私を傷つける意図はなかったと思う。
その的外れの数々のアドバイスは、私を奮起させ、そういうアドバイスをしない人になろうという決意に代わったから、良くも悪くも人生はうまくできているのだろう。
大人しく「そうなの?」「そうかもしれない」と落ち込みながら話を聞いていた私は過去のものとなった。
心の中でつぶやくのは「それで?」の一言だ。
「私は○○したからパートナーが見つかりました!」・・・それで?
「私は○○のおかげで急にお金が増えました!」・・・それで?
「子どもができました!」・・・それで?
なんでもいい。成功事例っぽいことを言ってる人がいたら
「それで?」と心の中でつぶやくだけである。
パートナーができることも、お金が増えることも
一瞬のハピネスである。
そこから始まる長い人生の第一歩である。
その第一歩を「しあわせ」と固定してしまうことで、今後起きる様々なことを「しあわせ」と定義し続けなければいけない人生が待っているだけである。
それは大変ではないか。
そのような「しあわせ」を形作るために、のちにセックスレスになるかもしれない夫婦となり、詐欺まがいのことをしてでもお金を作らなければならなくなり、子どもをインスタに上げ続けなきゃいけない毎日になったとしたら。
あまりにも悲観的すぎだと思われるだろうか。
本当に、瞬間のハピネスだけでいいのであれば、どうして不倫だ、され妻だ、育児辛い、嫁姑がしんどい、お金があっても満たされない・・・が永遠と繰り返されているのだろう。
あらゆる名目で、幸せになれないよ~と嘆いている人からお金を受け取って、
アドバイスする商売が増えたのはたしかで
だけど、そのゴールが結局「見せかけの幸せ」になっていて
(そういうゴールを示さなければ客が来ないのであろう)
結局のところ、それほど幸せでもない人たちが
お金で資格を買って
その資格で幸せと不幸せの循環を見事に作り出しているように見える。
その循環から抜け出す方法はこの呪文だと思う。
「それで?」
わたしはわたし、あなたはあなた、を明確にする。
どうしたって影響される他者の青い芝生を無効化できる。
今の職場は、成績によって「もの」が配られる。営業ってそういうところなんですね。
知らなかったけど。
成績のいい人は常に何かをもらっている。
だけどちっとも嬉しそうじゃない。
それを見て心から私は思った。
成績が良くても、ものをたくさんもらっても、それは幸せではないと。
満足はしてるかもしれないし、生活が助かってるかもしれない。
でも、喜びの笑顔は見られない。
だって、また次の瞬間走っていかなきゃいけないから。
学校の成績が良かったら、お金持ちだったら、結婚したら、子どもができたら、仕事で成果を上げたら・・・みんなそこに「しあわせの幻想」を見る。
全部やってきた私が言う。
それは幻です。
「それで?」を心の中で呟いたら、きっと「その先の言葉」が出てくる。
その「言葉」に耳を傾けるといい。
それが自分の本音。