揺るがないコト
今日もバタバタ過ごしております(#^^#)
気が付けば、思い描いていたシチュエーションでパソコンをしています。
少し前までは、家でパソコンをするのが落ち着かず、カフェに移動してました。
それが、ゆったりと我が家で記事を書ける日が来るなんて。
私が震災で被害に遭ったことや、体調の事、子どものことなどを話すと
「不運が続いて可哀そう」と思う人がいるようです。
確かに、しんどいことが続いていますし、この年齢で落ち着いて暮らしていらっしゃる人から見ればそう思えるのかもしれません。
だけど、私はそう思ってないんだなあと気づきました。
子どもたちの不登校も、暴れん坊の長男が大変だったことも、自分の鬱病も
すべては「もっといい人生」のための経験でした。
母親と相続で揉めて、今ではすっかり実家が遠くなりましたが
そのおかげで、心穏やかになりましたし、離婚しても困らなかったのでした。
そう思うと、一見「不幸だ」と思える出来事は、幸せへの道筋でしかありません。
私にとっては、今の状態は、不運でも不幸でもなく(地震前におみくじで「凶」を引きましたけどw)次へのステップに過ぎないのです。
「かわいそう」と思ってもらえたおかげで、来週海外に行くことになったわけですが、なんだか自分が最強になる気しかしないです(^-^;
何事も起きなければ、私は今ごろ、公務員で、何もわからなくて、不満だらけで生きていたかもしれない。お金はあったかもしれないし、家族全員で暮らしていて、実家ともつかず離れずで、表面的には何一つ不自由ない暮らしだったかもしれないけれど、兄妹に馬鹿にされっぱなしで、夫とも心通じなくなり、心が麻痺したままだったと思う。
神様が用意してくれた道を歩くしかなくて、しょうがないな~と思いながら、なんでなんだよと怒りながら、落ち込みながら、悲しみながら、とぼとぼと歩いてきました。
目に見えるようなキラキラした幸せなんかないけれど、気が付けば、驚くような経験の数々。そこには、自分ではわからなかったけれど、羨ましがられるエピソードがちりばめられていました。
私がどうしてこれほどまでに、現実に飲み込まれずにいられたかというと
私には「物語る」という力があったからなのではないかという仮説を立てました。
たくさんの本を読んできたせいで、自分自身に起きたことを「物語にしてしまう」ことができるのです。というよりも、こうして文章を書くことで、自分に起きたことを毎回整理している。それが、常に自分を客観的に見る訓練になっていたのだと思います。
私は人にも「書くこと」をお勧めするのですが、なかなか実行されません。
誰も読まないからかなあ。わたし、読むけどな!
交換日記ならできるかな?
どこかに導くためでもなく、考え方を改めるためでもなく、ただただ自分を「物語の主人公として見る」ための日記。
何があっても、一日や二日へばっていても、揺るがない力になります。
必ず自分が幸せであることに立ち戻れるから。
驚くことに、先日また「子どもは溺愛するぐらいでちょうどいい」と言われたんですが。今まではその言葉に反応していたのが嘘のように、何も響かなかったんです。
子育てにあれこれ言われるのがマジでムカつく!と思ってたのに、わかってもらおうとも思わなかったし、「そうだよね~そういうこともあるよね~」ぐらいの私になっていました。何を言われても、批判に聴こえない~すごい~~~。
私の子育てはこれしかなかったし、何言われたって揺るがないんだなと。
誰にも同じことはできないって知ってるから。私と同じことがあったら、私のようには誰も対応できないって知ってるから。どんなに偉そうに言われてもね。あなたには無理だからって心から思える。
間違ったことも、頑張ったことも、全部が〇で。外野は好き勝手言ってればいい。
人にアドバイスするぐらい立派な子育てをなさればいいだけですものね。
というわけで、今日も暑かった(;'∀')
人生を丸ごと楽しんで生きていきましょう。