失敗した話
少し涼しくなってきました。
冷房しなくていいので、体調もよろしいようです。
Twitterでは、夜の世界で働いている(いた)人が好きで
それは私の中にある何かと反応している。
何度も思い巡って、「誰でもいいわけではない」に行き付く。
それは甘くない道のりだけど、自分で「選ぶ」ということは
どんな時でも放棄されないのです。
想像や思い込みでなく、たくさんの人と出会って、たくさんの人のデータを自分の中に入れた人ほど、きちんと選ぶことができるのだろうと思います。
自分の思い込みというのは、たくさんの人に出会ったからといって外れたりしないけれど。あらゆる角度から見て、それでも心が惹かれたら幸せ一ポイントになりますよね。
いやそれで。
こんなピンクの話ではないのです。
思いっきり失敗しました。やらかしました。
ここに至るまで、とても苦しかったのです。失敗したことが認められなくて。
「ああ、これは私の失敗だ、教訓にすればいいのだ」と思えた時
やっと笑顔になれました。
わたしはずっと失敗が怖かったのでした。
失敗すれば肩身の狭い思いをする。家に居づらくなる。
その恐怖から、失敗する自分を認めるだけでダメージを受けるから
認められなくて、カバーしようとしたり、必死で取り繕ったり、理由を考えたりしていました。
わたしはそれが辛くて、家を出たようなものでしたし
子ども達が何をしても、決して嘲笑しない、失敗した分だけお互いに励ましあえるような家庭を作ろうとしたのです。
その段階で、「子どもたちがたくましく育っていない」と思うこともありました。
けれど、今では、私が失敗したところで、誰も笑わないし、批判しないし、むしろ助けてくれる子どもたちがそばにいてくれるようになったのでした。
安心して間違えていいってすごいな~としみじみ思います。
失敗して暴力をふるわれることはなかったけれど
失敗したら居場所がなくなるまで精神的に追い詰められる感覚の中で育つと
なかなかミスをする自分を肯定できないですよね。
ミスはするし、失敗ってわかるんだけど、
その時点で自分を思いっきり馬鹿にしてる、自分で。
罵倒してました。
でもそれ、気づかないんですよね。
勝手に自動的にやってるから、勝手に落ち込んでしまうという現実だけがあって。
なので、落ち込んでいる自分を空から見て、「落ち込んでるな~それもまた、かわいいかもな~」と眺めていると、その瞬間は罵倒してないからいいんです。
自分を責めないとよく言われるけれど
自分を責めてる自覚がある人なんてほとんどいません。
それぐらい普通に、常にやっています。
たまにそれを子どもにやってみたり、他人にやってみたりするだけで。
ほぼ自分を責めてます。
失敗だらけの人生だから俺~とか言ってる男性ほど癒せてないし。
失敗を勲章にしてしまわないと生きていられないほどの傷。
わたしはそう思います。
だってそこ、自慢しなくていい。
それで、失敗した話。
要するにちょっと焦って行動してしまった。
その結果、巻き込まれた、というオチです。
私の周囲に集ってくる「コントロール欲の激しい女性たち」がいて
少しずつ距離感を学んでいたのですが
先日最強のボスキャラが現れました。
「わたしはわたし」をしっかり保つ練習を積んでいたはずなのに
気付いたら巻き込まれていました。
結果的に面白いことになりそうですが
かなりの痛手になりました。
なんだか失敗もでかくなってきたぞ~~~~
笑えない・・・。
ということで、お盆は何をしようかな!