変わらない自分と共に生きること
今年は駐車場の抽選がうまくいって
家の近くに停められることとなりました。
ありがたいですね~~~
暑すぎた夏が過ぎ
毎日清々しい青空の日々です。
山を走れば紅葉が。
降りれば銀なんやどんぐりが。
季節は巡り、私たちもまた、変化していきます。
数年前には考えられない自分がいて
でもこの自分でいることが、とても心地いいなあと思います。
地元の進学校に進学する程度の学力も
おっちょこちょいで不器用で、自信がなかった性格も
何一つ関係なくて
ここに自分がいた、ということに気が付きました。
「何かを成し遂げなくては」とか「何者かにならなければ」と頑張っていたことも、間違いではなかったけれど、全く方向違いでした。
大きな精神的ダメージを受けて気づいたのは
「当たり前の幸せを求める必要がない自分」の姿です。
安定した生活や、子どもや孫の成長を楽しみにする生活も
わたしには関係ありませんでした。
かといって、お金を稼ぐことが楽しいわけでもありませんでした。
言葉にはとてもできないのですが
「この社会が”この生活が当たり前で幸せでいいですよ”と伝えている暮らし」は
わたしには合わなかったのです。
誰もが、当たり前に信じている価値観、方法、人への接し方、その上での心理学やカウンセリング、成功哲学や恋愛論など。そういうものすらも、私にはさほど当てはまらない。すべてを勉強してきた上で、そう思いました。
どうしようもない苦労に突っ込んでいくことも
どうしようもない寂しさを味わうことも
それを私は求めていて、それがある種の喜びになっている。
この、パラドックスに気づくまで
どれだけ辛かったことか。
みなさんが「そんな生き方ではダメ」「寂しいでしょう」「辛くなるでしょう」「そんなもの、求めてないでしょう」と否定するようなことこそが、私の魂の生き方でした。
否定されればされるほど苦しくて、自分はどうしてダメな方にいってしまうのかばかり考えていました。
いわゆるヒーリングや、占いのアドバイスというものは、「常識の幸せを得るにはどうしたらいいか」に基づいているので、「私の幸せにとってどうなの?」という観点でみれば、ずれたことも多かったのです。
人と同じ幸せでは、私は満たされないし、そこに幸せを感じていないのです。
とんでもない出来事を引き寄せることや
ユニークすぎる人物に出会って振り回されること。
そのワクワクや、心躍る感覚を、私は生まれた時から知っていたのだと思います。
誰もが「不幸」だと思うようなことすら
わたしにとっては幸せかもしれず
それを誰かに理解してもらいたいと思うことすら
もうなくなりました。
わたしだけが経験できることを経験していく。
リスクを侵しても。
だから「幸せになる法則」にのっとって生きると、わたしは不幸になることに(笑)
そう。これこそが、「自分を生きる」ということなんだと思います。
誰かに「あなたは幸せですね」と判定されることが「幸せ」ではない。
「あなたは健康です」と治療する人に言われることがゴールではない。
そんなことは関係なく、魂が喜ぶ方へいけばよい。
どんな自分も肯定して生きていくと、驚きの世界が目の前に現れますよ。
そしてそれは、決して「教訓」のために現れるのではなくて
「あなたはそのままでいい」ということを教えてくれるために現れるのです。
目の前にあったのに、わたしはそれを「教訓」としてしか受け取れませんでした。
だから、しんどかったし、いつもいつも、誰かから注意され、説教を食らう人生だったのです。
自分の経験を、自分を追い込むためのものだと勘違いしちゃだめです。
向上するための不幸でもありません。
それでよかった。それがよかった。ただ、それだけです。
それに気づかせてくれた海と空をここにアップしておきますね。
ありがとう