幸せの定義
幸せ~ってなんだ~っけ♪という歌が流行したことがある。
ポン酢しょうゆだけじゃないけどさ(笑)
ある文章を見て、朝から考えさせられた。
「今ある幸せを見逃してませんか?」と。
うん、わかる。そういう幸せもわかる。
今の私がどれだけ幸せかもわかってる。
こうして、休みを取っていられるのも、朝ゆっくり起きて大丈夫なのも。
綺麗な部屋に住んでいることも。
ただ、それだけを味わってたら人生停滞する気がしない?わたしだけ?
気付いたことというのは
私の幸せというものは、この地球に生まれた価値観を味わうことにあるってこと。
それは、おそらく宗教の言う「足るを知る」の真逆を行ってる。
もっともっとやってみたい、味わいたい、を追求している。
恋人欲しいなあと呟いた時も(地震でメンタルずたずたな時ね、そりゃ欲しいでしょ、そういう時は)「あなたは今ある幸せに気づいてない」と説教した人がいた。
そうじゃないって~(-_-;)
正論、幸せとは何か、みたいなことに話を持ってく人はそう言うんだよな・・・。
わたしはたぶん、子どもみたいな、孫悟空みたいな気持ちがいっぱいなので
「したいことがまだまだあるんだよ~~~」って叫んでる。
お釈迦様の掌の上で叫んでいたとしても、その活力こそが幸せの源なのだ。
だれがそれを不幸と言おうと。
恋がしたいのに動けない。行きたいところがあるのに体がついてかない。
それって私には悲しいことなんだ。
何もしたくない、動きたくない、って人なら、今の環境は最高かもしれないケド。
わたしにとって「足りないことを見つける」ことが幸せで
発火装置が作動することが幸せで
動いてる自分が好き。
それを理解してくれる人が・・・欲しい・・・んだろうなあ・・・。
私にとってすべての恋(芸能人であっても美術品であっても)が大事なのは、恋が心を燃やせるものだと知ってるからなんだろう。
わたしは隣と比べない。隣の不幸は知らない。幸せはよく見える。そのどこが悪いのかわからない。
自分のやりたいことと幸せを求めていくだけなのだと思う。
遊び尽したいじゃない?この世の幸せと言われていることも経験して。
その分、酷いことも経験するけど。
誰かの幸せを羨んでいるわけじゃないし、世間的な幸せに自分を合わせてるんでもない。「そういう幸せってどんな感じ?」をやってみたい。
そのために、私を煽ってくれるものなら何でもOK。
わかるかなあ、わかんないだろうな・・・。
これが孤独ってやつですね。うむ。
空回りしようが、成果がついてこなかろうが、その時その時の自分の行動が面白くて好きだったらいいんだよ。
「成果が出ないのは、あなたが幸せを見逃してるからだよ、空回りしてるよ」と人から嫌味を言われたってかまわない。ってことだ。
なんだ、そんなことだった、って話だ。