孤高の存在で
今日は炊き立てのご飯があまりにもおいしくて
お漬物と一緒に食べ過ぎてしまいました。
うちの鉄鍋は最強です。ヤバいです。
先日、面白いセッションを受けました。
箱庭みたいに私と子どもたちを配置するのですが
どうも普通ではなかったらしいです(笑)
子どもを私の後ろに並べなかった。
はい、守ってないんですね!解説を聞いて爆笑しました。
でも、心はつながっていると思ってる。
信頼している。そして、私のために犠牲になって欲しいとも思っておらず
だけど、私にとって息子たちは、戦う姫を守る騎士たちなのでした。
私も戦うので(*^^)v当然、息子を盾にしていない。
自分で並べたにも関わらず、気づかなかった、気づこうとしなかった
自分の心象風景がそこにありました。
自分の立ち位置、あり方を再確認した次第です。
つまり、「わたしは、離れている人とつながっている」という感覚がある、ということ。べたべたと日常を一緒に過ごすよりも深いつながりを既に得ているということです。
ある人から「あなたは、孤高ではあるけれど、孤独ではないよね」と言われました。
その意味がすっとわかりました。
離れていてもつながっている。だから、決して孤独ではないのです。ひとりで生きているように見えても。
今の職場で一年半過ごしていますが、電話しあったり、日常的に会う人はいません。
だけど、二、三カ月に一度、大愚痴大会を開く友達や、「わたし、上司に意見しちゃった」と私だけにメールをくれる年下の女性がいます。
いつの間にか、私を信頼してくれる人たちが数人できました。
不登校カフェも一ヶ月に一度ですが、絆は深まっています。
ずっと会えない人もいるけれど、一度信頼を築いてしまえば、私の場合、それは離れていても持続します。
自分自身はひっくり返りそうになるぐらい、吐き気がしそうなぐらい、誰かに恨まれたり、凹んだり、泣いたりするんですけども(笑)
その時に側に誰もいないことのほうが多いんですけれど(笑)
私は決して一人ではない。
心で繋がっている人がいる。
今日、それがもう、雷に打たれたようにわかってしまい、♪もう恋なんてしないなんて~言わないよ絶対~♪みたいな気分になりました(謎)
そっか、だからわたしは、現実にべたべたする友達を求めないで済んだんだ。
家族を解散してもちっとも不安にならないんだ。
わたしってひとりぼっち~なんて勝手に悲劇のヒロインやってたけど
嘘でした、テヘペロ、みたいな感じです。
実家と縁を切っていても、なんていうかなあ、その道の人たちが勝手に想像するような「親を許していないあなた」でもないし「親と仲直りできなくて可哀想なあなた」でもないんだなあ。
25年間親兄弟をどっぷりやってきて、あの人たちのことが手に取るようにわかるんだから、もうそれで充分じゃない?お互いに干渉しあわないで幸せに生きていればいいんじゃない?と思える。
わたしはちっとも寂しくないし、母親としゃべりたいとも思わない。
認めてもらうの云々もどうでもいい。
だって、わたしは、母親が認めた娘なんだから。
そういう感覚って、どこにも書いてないし出てこないよね。わからないよね。
やたらと上司や、やっかみにまみれた女性から叩かれる私なんですが
それでも孤立しないってのは、不思議だし、それはそれでスゴイと思う。
まあ、わたしは傷だらけになるんですけどねw
強く見せたい人にしてみれば、私だけが屈服しないから嫌なのだと思います。
「優しくない」「素直じゃない」とディスれば大抵の人たちは落ちる。屈服してくれる。でも、わたしはそれをしない。
優しいって何?素直って何?それ、おいしいの?
優しくなくても素直じゃなくても、信頼と信用は間違いなくあるんですよ。
ここに。
さて。明日も頑張りましょう。