風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

何が大切か

こんばんは。

夕食はシチュー。クリスマスソングをかけても違和感のない季節が好きです。

 

自分が何を求めているのかを

あまり深く考えずに突き進んできました。

 

ここにきて、少し立ち止まり

周囲を見回してみると

去年とは違う景色を見ていました。

 

人には様々な価値観と生き方があって

交わらないはずの人が目の前に出てくことがあります。

だけど、よくよく見てみると

その人と出会う理由が必ずどこかにあるもののようです。

 

とても面白いことがありました。

源氏物語を海外の方が訳して、それをまた、日本人の方が訳して出版されていることがわかりました。

それがね、なんと、クリムトの絵が表紙に使われているのです。

 

源氏物語 A・ウェイリー版1

源氏物語 A・ウェイリー版1

  • 作者:紫式部
  • 出版社/メーカー: 左右社
  • 発売日: 2017/12/22
  • メディア: 単行本
 

 

実は私、過去、「紫式部」というあだ名をいただいたことが、それこそ一瞬だけありまして。クリムトとコラボだよ、これ、買うしかないんじゃね?みたいな話です。

 

点と点がつながっていくような

最近はそのようなことが増えました。

 

離婚してから、男女ってなんだろう、パートナーってなんだろうと

よく考えます。

紫式部の時代と今の時代、そんなに変わっていないみたい。

日本人は島国だからか、本当に世界から取り残されているような気がします。

 

男性に尽くされるのがいい女だとか

男にちやほやされるのが女性性の証だとか?

まあ、そのようなたわごとを言う若い人たちが増えてしまい

「人を愛する」という基本的なところを

磨かないままにしているのかもしれないなあと思います。

 

もちろん、わたしはフェミニストですし

男に遣われたり、男のために生きることなどいたしませんし

家事全般できる男でないと一緒にはいられません。

 

そしてそれは表面的な話であって

「人を愛する」ことと何ら抵触しないのです。

 

身の回りの世話をすることは、愛ではありません。

相手が障碍をもっていて、動けないなら、それは愛と言えるのかなあと思いますが。

だけど、健康で動ける人の仕事を奪うのは愛ではない。

 

それはともかく。

 

わたしは、ずっとその「愛」について、勘違いをしてきたんです。

相手から何かをしてもらうこと、相手から何かをもらえることを愛だと思っていた。

だけど、私にも愛があって

それは、なんだろう、一般的なマニュアルで書かれているようなことではなく

例えば成長を見る、だったり、一緒に同じ風景を見る、だったり

自分の中にある「愛と思えること」を外に現したい、と思うのです。

 

上手く言葉にできないけれど。

 

そして、それは、一人で生きていてできること。

誰かが隣にいなければできないなんてことは一切なくて

こうしてパソコンに向き合っているだけの私の中に

確実に「あるもの」だと思うのです。

 

その人が、どこで、何をしていようと。

 

私と出会ってその存在を「感じた」ということが

それだけで愛なのかもしれないなあと思うのです。

 

磁石のように誰かの横に寄って行ってしまうのを

愛だと勘違いしないでほしいと思うのです。

 

若い時はそういうこともあるけどね。

 

時間もなく距離もないもの。

だから、「ここ」にいなくても伝わるもの。

 

だから、亡くなった父からも愛を受け取れるんだろうと思います。

 

この二年ぐらいでそこんとこを、わたしはとことん鍛えられました。

一緒にいたい、寂しい、悲しい、辛い・・・を越えてきて。

「わたしが愛する」という基本に辿り着いた気がいたします。

 

これからも、迷ったり泣いたりすることだと思うけれど

それも含めて、全部全部愛だと思うから。

 

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