大好きなことだから
本格的な冬到来です。
防寒してますか?
また、新たな発見をしました。
どんだけファザコンやねん自分、ってね。
そして、父のことをまたひとつ、理解しました。
寂しさを埋めるために外面を必死で保っていたんだなあとか
それを家族に埋めてもらおうとしてたけど
結局自分自身を満たせなかったんじゃないかなあとか。
誰かをかまうことで、自分の寂しさから目を背ける。
それもまた、ひとつではあるけれど
その「誰か」を失った時、自分がひとりで病と立ち向かう時
誰かをかまうことができなくなった自分と
どう向き合っていくのか。
とても大きな課題を置いて逝ってくれました。
そやって目をそらし続けている男性の多いことも。
さて。
わたしは今の職場で苦労もしたけれど
好きな仕事ではあるわけです。
愚痴言いながらも、この仕事の本質を、折に触れて一緒に働いている人に伝え続けている2年間を過ごしてきました。
自分がやって見せる、やってもらうように促す。
毎月出す通信も14号になりました。
来年度は制度が変わり、私も含めて進退を問われることとなったわけですが
どうも、誰も辞めない様子。
日数が減っても、この仕事を続けたいという気持ちを感じています。
てっきり、給料に見合わないこの仕事、人生を考えたら違う選択肢もあるよと
それも伝えたのですが。
それに気が付いた時、わたしはとても幸せだなと思いました。
私が配属されてきた時に比べて、みんなが成長している。
この仕事に対する意識が強く、たくましく、プロとしてできるようになっている。
辛いこともあったけど、諦めず自分を貫いてやってきて正解だったと
思わされる出来事でした。
わたしは、「講義する」「厳しくしつける」というようなことは一切やりません。
ただただ自分がどうやって働いてきたかを見せるだけです。
何気ない言葉の中に、仕事の本質を混ぜていく。
おしゃべりしながら、自分が楽しんでることが勝手に伝わる。
そういう感じでしょうか。
説教もしないしね。
わたしは、そういう生き方、上に立つ時ってこうありたいという有様を、目指してきた気がします。
黙々と共に仕事をすることで、周りを変えていくというやり方。
説教するのは簡単なんです。道具を使って「口先だけで」何かをした気持ちになるってのは。
でもそれで、誰かの人生や何かを変えることなどできないです。
「私が変えてやった」とか思ってるだけで、実は、違うところに「変わる種」があっただけだったりする。
私が発信することは、「光のボーガン」となってるんだなあ。(←わけがわからないと思いますが・・・)
何が好きで何が嫌いで、こういうやり方があって、こうして、やってみて
自分のすべてを使って伝え続けること。
それが私の生きている証。
「大好き」のエネルギーは時空を超えていくんでしょう。
この世界に種を撒きつづける。そういう生き方もあるのです。
「受け取ります」ばっかりじゃない。
お金を得るために人から何かを奪うのでなくて
種を撒いて、その種の成長を見守る生き方は
幸せの果てることがない希望を感じます。
誰かと一緒に生きる時にも、わたしは、その人が幸せであるようにと
その瞬間を必ず笑顔にしたいと思っていて。
その対象が、「この人でなければならない」なんてこともなくて。
この「今」が過去も未来も作っていくのだと決心しているのです。
というわけで、また。