決別
山道を赤いパートナーと一緒に走るのは気持ちがいい。
「ひとりでドライブする」と言うと
意外そうな顔をされたり、「嘘だろ」と言われたりするけれど
一人ドライブが好きだ。
一人ドライブのきっかけをくれたのは
息子たちの不登校で
自分の家なのに全くプライベートな場所がなくて
子どもは24時間家にいるし
車が唯一の部屋代わりだった。
どんな時も車の中で泣いたものだった。
今日もちょっと泣いた。
それは、過去との決別の涙だった。
誰が何をしたからというものではなかった。
「愛されたかった自分」「まともにふるまいたかった自分」との別れだった。
「美雨のお告げ」に行ってきた。
こういうことを書くのも、実は、ちょっと気になってしまう。
またかよ!っていう突っ込みを恐れている。
「依存しすぎじゃね?」という世間の声をまだ、私は拾っている。
自分を生きていないのだと思う。
けれど、自分がこの地球の中の日本という、あまりにも生きづらい国で、どうしたらいいのかを聴けるのは、いわゆる不思議な人たちになるのは、世間とうまくやってる人たちに相談しても答えは得られない気がするからだ。
5月からの不調に悩んでいる。という話をした。
そこから発展した話は、今の私でなければ受け止められなかったであろう意外なものであった。
不思議なことに、しゃべり始める前から涙腺が緩み始めていた。
意味が分からず、涙なんて出てないふりをしようとしたが、無理だった。
私がいかに、無理して子育てをしていたか、という話になった。
気付いてはいたけれど、認めたくないことだった。
私が今まで生きてきた世界では、子育てが下手だと、常に怒られ、説教され、あーだこーだ言われることしかなかったから、必死で自分の子育てを肯定するように持っていくのが常だった。そのエネルギーは、自分をどんどん削っていった。
どんな霊能者だろうが、不思議な能力を持っている人だろうが
私の子育てについては、あれこれ言いたがった。
それほどに、不器用で見ていられなかったんだろうと思うけれど、でも、それほど責められることだろうかといつも悲しくなっていた。
今日言われたことは「どうしてあなた、家を出なかったの?」だった。
子どもを誰かに託せばよかったのよ、と。
私が一人ドライブをするようになったきっかけを
もっと広げて、そのままドライブしてどこかに行ってしまえば良かったのだ、という話だ。
子どもと離れることに罪の意識があった。子どもと離れることに抵抗はなかった。
ただ、「かわいそう」と言われることが怖かった。
そして、子育てもできない女、と思われることが嫌だった。
私が執着していたのは、私が母親として失格だと思われることだった。
上の息子を家から追い出したことも、ある種の人たちには信じられないことだろうし、私があまりにもあっけらかんと話すものだから、誰も何も言わなくなったが、私の心の中にちくっとする部分がないと言えばうそになる。
まあ、今となれば、私の30年が無駄だったとは思わないし、その自信はそれなりにある。息子たちには申し訳ないが、私自身もこういう生き方しかできなかった。
その上で「家を出ればよかったのに」の言葉は、私を根底から安心させた。
泣きながら、爆笑に次ぐ爆笑(だって「何やってんの」って言われたんだものw)でお告げの時間が終わったのだけれど
帰り道では涙が止まらなくなっていた。
それは「無理してまで家族の形を作りたかった」「親兄弟に”お姉ちゃんでも子育てできるんだ”って認めさせたかった」「親に愛されたかった」という自分が見えたからだった。
バカにされたくない、という一心で生きてきた。
「ちょっと頭がいいからって」と、私が不器用なことをからかう兄弟たちが嫌いだった。
私の育児を馬鹿にして頭ごなしに説教垂れる(愛が足りないとか、あなたがそんなんだから子どもがかわいそうとか)人たちを見返したかった。
今なら言える。わたし、子どもが苦手なんで。異星人なんで。子育て苦手なんで。
もうええんやなあ、頑張らんでも・・・。
素直にそう思えた。それはまた、頑張ってきた過去との決別でもあった。
子ども達を楽々とコントロールできる人たちがいる。
私にはとても無理だった。
そういう人間なんだった。
そして、「20tのおもりが載っててしんどかったやん?でもそれが今は10tに減った。楽に思うかもしれんけど、まだ10tも載ってるねんで!」って言われて、もう笑い転げるしかなかった私です。
おもりがなくなった自分がまだ見えないけれど
おもりをなくすことは決めた。
子育てを自慢する人たちが嫌いだったよ。
作家でも「ほっておいたら育ちました」とか言ってて
母親としての自慢てなんやねんて思ってた。
もう、そういう世界からも離れていきたい。っていか、何も感じないようになるんだろうな。
子どもは可愛いし、子どもに癒されたり、育てられたりすることは事実だ。
私も子どもから愛をもらった。
けど、自分の不器用さをカバーする術を知らなかった。
バカにされるのは実家でうんざりしていたから、二度と同じ目に遭いたくないと誓ったから。
今は、自分の馬鹿っぷりをそのまま見せられる人と場所があって
少しずつ自分の殻を破りつつある。
だからこそ、お告げに行けたのだと思う。
満月の次の日に。
世界が変わる。