家族って(1)
本より服を買うのだ!と決意して
今日は近所のショッピングモールへ。
最近、お仕事は服飾関係ですかと聞かれたりするし
「服が好きなんですね」と美容院の人から言われたりする。
ね、美容院の人だよ!オシャレな人たちだよ!びっくりするわ~。
やっと「服が大好きなんだ」な自分を許せた。
親が気に入る服ばかり着てたせいで、大人になってから何が似合うのか必死で試してきたが、ここに来て「七変化したい」こともわかった。
さすがにハロウィンの仮装はできなかったけれど、心許せる人たちに囲まれたらやると思う。
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わたしはずっと家族のことばかり考えている。
わたしは情が薄い。
「家族が一番!」と言ってる人がうらやましいほどに、私にその感情はない。
だからこそ、客観的に見ているのかもしれない。
浮気や不倫をしたがる男たちを見た。
趣味に逃げる男たちもいた。
浮気をする夫に依存し、しがみつく妻もいるし、不倫する人を「依存する弱い女」と攻撃する妻もいる。
夫婦って結局はセイフティネットになっていくんだろうと私は思う。
お互いに、ある種のシステムに欠かせない道具としての相手。
だけど、道具であっても、愛しているほうが生活は楽しい。
だから、「夫や妻を愛する技術」があちこちで売っている。
愛しているから夫婦なのではない。夫婦だから、愛しあわねばつまらない、といった感がある。
子育ての間は、大人がふたりいるほうが効率的であるし、日本は男女ペアの夫婦が親として存在することが自明になっていて、他を許さない。
故に、家族システムを働かせないと子どもは育てにくくなる。
家族システムを正常に運用している家族だけが「ほめられ」「良しとされ」る。
そこに、夫や妻の浮気や、依存症による困難や、子どもの虐待が見られたとしても、家族システムが働いている限り免責される。
離婚するより、そのままであることを選ばされているように見える。
城を守ってさえいれば、中で何が起きてようがかまわないのだろう。
自己責任だ、自分で選んだんだ、と声高に言う人がいるけれど
本当にそうだろうか。
リスクを選べと言ってる人が、家族という城は絶対に壊さない。
自分が浮気をしようが、虐待しようが。
家族という城を手放さないまま「仕事はダメだったけど、家族がいてくれる、家族ともうまくいった」とか言うのは、私には理解しがたいことだ。
妻を手放さないで、何が困難なんだろうか。
ひとりぼっちにならないで、何に困ったんだろうか。
精神的なよりどころをキープしたまま、やり直せるのはどれだけ幸せなことだろう。
と、わたしはとても意地悪なことしか言わない(笑)
愛し合わなければならない、という呪縛でいっぱい。
瞑想して、セミナー受けて、とにかく「家族は仲良く愛し合っていなければならぬ」と必死になってるみなさんがいる。
本当の自分に気づいたら、本当に依存している自分に気づいたら
他の依存している女性たちを許せるようになればいいのにね。
自立している妻、という言葉は矛盾だらけで、言葉としておかしい。
自立しているのであれば、お互いの恋愛は自由だから。
そういうわけで。
わたしは、心理学的側面ではなくて、社会学的側面から
家族を考えてみたいと思っているらしい。
「幸せな家族像」が潜在意識に刷り込まれている私たちにとって
それを外して本当の個である人として「ある」ことができるのか否か。
そんなところです。
自分の信じてきたもの、生きるために持っている信念が崩れるから
本気で考えてる人は少ないと思う。
さあ、明日からお仕事がんばります!