過信と自信
雨の日曜日はジャズが似合います。
コーヒーと共にゆっくりした時間を流れていくのがいいですよね。
自分の中の静寂は大切にして。
それだけで、次の一手が打てそうです。
どんな時も慌てないでいるためには
例えば勝負に向かう前の人のように
深呼吸してすべてを見通すつもりで
心は鎮まりながらも、前を見据えている感覚。
できることはやる。
自分が落ち着ける場所と時間を確保することはとても大切だと思います。
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職場に、自分の実力を過信する人がいてね。
資格を持ってるというだけで
知ったかぶりをして、
上に立とうと必死になっていました。
なんていうか、そういう人って「圧」がすごいじゃないですか。
圧倒されて周りも従う・・・みたいな。
なのに、「私を褒めて!」オーラが常に漂う。
「ほら、こんなにすごいでしょ」「こんなことも知ってるのよ」「だから、私を褒めて!」の繰り返し。
資格って褒めてもらうための手段ではないし。
それは例えば、占いやら才能でも言えることで。
何かを習得することと、それで我を張ることは全く違うと私は思っています。
承認欲求がいいとかダメとかという話でもありません。
たいてい、他人の人生に口を突っ込みたがるってのは
承認欲求の最たるものだと思うので
はっきりいって、お金取る前に、承認欲求満たしてもらってるんだから
ぼったくりじゃね?と思う商品(残らない)を売ってる人はけっこういると
思うのですがいかがでしょうかwww
けど、自信のない人は、他人に満たしてもらっても
お金をもらわないと自分の価値を認められないのかもしれないね。
うん。わかる。目に見えるもので価値を知りたいという気持ち。
サービスを売ってるつもりで
実は他人から満たしてもらって
お金までもらって
その上、お客の悪口まで言えて
それって超幸せじゃね?いいな~と私は憧れてましたもんね。
その先に何があるかは知りませんけれども。
私は今、自信とは生活だと思っています。
積み重ねてきた実力は、決して「お金儲けのやり方」の知識の積み上げではない。
人との関わり、資格への向き合い方、自分との向き合い方。
家族、パートナー、子どもとの歴史。
崩れても立て直せるものが自信。
一人でも生きていける、というのは、そういうことじゃないかなと
思い始めています。
私がこう
思えるようになったのも
「奇跡のコース」に関わっていらっしゃる方のセッションを受けて
子どもに対する罪悪感がなぜだか流れたからかも。
昨日も書いたけれど。
自分を否定して、他人から否定を含んだアドバイスをされている時には
幸せへの道筋が見えないです。
否定するものを勇気をもって断ち切るんです。
否定する人から離れる。
自虐のセミナーをやってる人もいるし、そこで感動ポルノをやって
回復する人もたくさんいるけれど
私はそれは効かなかったです。
自分が愛だと知るために、誰かからくさされる必要などどこにもないんです。
過信するために他人を利用する前に
自分を安心させてくれる場所を見つけましょう。
じっくり自分を安心させて優しくして、不安や焦燥感は神様が何とかしてくれるのでお任せしていればいい。
世界が優しくありますように。